【金丸脱税事件】異聞(13)石川達紘はなぜ金丸脱税摘発のキーマンになりえたのか
金丸脱税捜査に踏み込む前に、少し脱線して、最強の官僚権力といわれる検察と国税当局、正確にいえば、「法務・検察」と「大蔵・国税」の当時の関係について触れておきたい。それは先に、筆者が「石川達紘が、金丸脱税摘発のキーマンのひとり」と表現したこととも密接に関係する。
戦後の日本システムは、政官財もたれ合いの護送船団システムで運営されてきた。その中核を担ったのは、大蔵省(現財務省)を中心とする官僚システムだ。官僚の中の官僚といわれた当時の大蔵省は、予算・金融・税務行政を通じ、事実上、日本を支配する官僚権力集団だった。その大蔵省を、政治権力の介入から守る役割を果たしてきたのが検察だった。
石川は89年の特捜部長就任のころから「大蔵省は、国家の財政政策の中心だ。そこに利害関係を背景に手を突っ込もうとする政治家をチェックするのが俺たちの仕事だ」と公言していた。
国税庁は戦後の申告納税制度導入で、新たに悪質な脱税を検察に刑事告発する権限を与えられた。犯則調査で脱税の証拠が集まれば告発し、検察は訴追に向けて捜査する。国税当局の告発で特捜部が企業や個人を脱税容疑で逮捕・起訴すると、大きく報道された。
「納税者の遵法意識が高まり徴税コストが下がる。歳入の柱である税収に神経を尖らす大蔵省にとって検察は強力なパートナーだった」(国税経験が長い大蔵キャリアOB)