著者のコラム一覧
有森隆経済ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

スノーピーク(下)社の命運がかかった米国でのキャンプ場事業…山井太社長の悲願の行方は

公開日: 更新日:

 スノーピークは、1958年に初代社長の山井幸雄が金物問屋「山井幸雄商店」を新潟県三条市に創業したのが始まり。登山を趣味としていた幸雄は、当時の登山用品に不満を持ち、オリジナルな登山用品を開発し、59年から全国に販売を開始した。

 オートキャンプという新しい事業領域を切り開くことになったのは、幸雄の息子である現社長の太の入社がきっかけだった。

 山井太は明治大学商学部を卒業、外資系のスポーツブランド商社での武者修行を経て、86年に父が設立したヤマコウ(現スノーピーク)に入社。それまでバックパッカーなど若者たちのものとみられていたキャンプをアウトドアライフスタイルととらえ直し、家族の絆を深めるための豊かな時間としてキャンプを提唱した。

 96年に社長に就任すると同時にスノーピークに社名を変更。キャンプなどアウトドア用品のメーカーとして、米国・欧州へ輸出、韓国などアジア市場へも本格参入した。

 オートキャンプのパイオニアとして評価され2014年東証マザーズに上場(翌年東証1部に指定替え)。15年、山井太は「2015年日経ビジネスが選ぶ次代を創る100人」に選ばれた。

 太はオートキャンプの先進地・米国で勝負に出た。米国では1年以内にキャンプをしたことがある人は、人口の半分にのぼるなどキャンプ文化は根付いているが、ホテル代を浮かせるための貧しいイメージは30年前から変わっていない。太は19年に米国に移住し豊かなキャンプマーケットの開拓を始めた。米国での認知度をあげるために、米ナスダック市場への上場を目標にした。

 20年3月、スノーピーク社長を娘の山井梨沙に譲り、会長に就いた。米国事業に専念するためだ。

 梨沙は文化ファッション大学院大学ファッションデザインコース修士課程を修了したファッションデザイナー。13年にアパレル事業を立ち上げてデザイナーを務めていた。

 社長就任時は32歳。東証1部(当時、のち東証プライム)上場企業に若き女性社長が誕生した。右腕に彫ったヘブライ語で「自分を愛するように隣人を愛せ」というタトゥーを隠そうとしないことから、タトゥー社長として話題になった。

 それから2年6カ月。22年9月21日に梨沙社長が電撃辞任した。理由は「既婚男性との交際及び妊娠」。既婚男性との交際という理由による東証1部上場の社長の辞任は、極めて異例なことだった。

 梨沙社長の電撃辞任を受け、太会長が社長を兼務(その後社長専任)となる。そして、スノーピークのMBOを実施し非上場に踏み切った。その狙いは何か。太が移住してでも成就したかった米国事業である。

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