乳腺外科医事件に逆転有罪 上告の医師を支える同僚に聞く

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八巻秀人さん(柳原病院外科部長・医局長)

 東京都足立区の柳原病院で、乳腺腫瘍摘出手術後の診察時に女性患者の胸をなめたとして、準強制わいせつ罪に問われた男性外科医師の裁判。東京高裁は7月13日、1審の無罪判決を破棄し、懲役2年を言い渡した。外科医は今月10日、上告したが、医療現場からは「実態を無視した有罪では、医師は怖くて日常の医療ができなくなる」との声が上がる。外科医とともに患者の手術を執刀し、「外科医師を守る会」の呼びかけ人として、4年にわたり支援活動を続けている同僚医師に話を聞いた。

■焦点はDNA定量検査とせん妄

 ――日本医師会や日本医学会など、全国的に支援の輪が広がっているそうですね。

 外科医は105日間勾留されましたが、その間、保釈を要求する署名が3万人以上、保釈後、無罪を求める署名が2万人以上、全国の乳腺外科はじめ、大学病院、県立病院、がんセンター、大学教授、医療従事者から集まりました。最高裁で正当に裁いて欲しいという上申書も続々届いています。

 ――裁判の主な争点はDNA定量検査と女性がせん妄状態だったかどうかです。1審判決では、科学捜査研究所が行ったアミラーゼ鑑定(唾液などに反応)やDNA定量検査のずさんさも指摘されました。

 技官が鑑定経過を記入したワークシートは鉛筆書きで最低9カ所消しゴムで消され、書き直されていた。DNA抽出液に含まれるDNAのおおむねの量を示す増幅曲線等のデータを消去し、患者の胸をぬぐったガーゼから抽出したとされる、再鑑定に不可欠なDNA抽出液を廃棄していました。

■「高裁判決が不当なのには3つの理由がある」

 ――高裁の判決を「不当だ」と主張する理由を教えて下さい。

 1つ目は1審で数多くの証拠や24人もの証人を丁寧に審理した上で無罪判決を下したこと。2つ目は2審ではせん妄と幻覚に関する証人尋問しかしておらず、他の争点も含め無罪判決を覆してしまったこと。3つ目はその証人尋問で弁護側と検察側から精神科の専門家が出廷したのですが、検察側の証人が自ら「せん妄の専門家ではない」と語り、国際的に確立した、せん妄の診断基準を全く無視した意見を述べたにもかかわらず、裁判官がこれを採用したことです。

 ――DNA型とアミラーゼ反応が出たことも、有罪判決に至った理由のひとつです。

 外科医師は手術前、患者の両胸や乳首を念入りに触診し、問診をして患者を手術台に寝かせた状態で私と会話を交わしながら、再度触診しました。話をすれば唾液も飛びますし、触診時に指を介して外科医師や唾液以外の汗や微量の血液が付着する可能性は十分にあります。唾液の中には口腔内の細胞が含まれます。DNA型鑑定やアミラーゼ鑑定は非常に敏感なものです。DNA型とアミラーゼ反応が出ても何の不思議もありません。スーパーコンピューター「富岳」を使った新型コロナウイルスの実験で周囲の人に飛沫が飛び散る様子を見れば、一目瞭然です。

 ――ベッドの高さを考えると、「物理的に胸をなめるのは無理だ」と主張されています。

 術後は看護しやすいようベッドを高い位置に固定し、ベッド柵を3カ所取り付けていました。高さが100~110センチになるため、身長165センチの外科医はベッド柵越しに体を乗り出さない限り、胸まで口は届きません。

全国の医療従事者に支援の輪が広がる理由

 ――患者は外科医が患者の胸を見ながら、マスターベーションしていたと訴えています。

 患者は誤嚥防止のために枕をしておらず、あおむけの状態で外科医の下半身は見えません。外科医の手術着は腰部分の紐をほどかなければズボンに手が入らず、ほどけばズボンが床にズリ落ちます。

 ――当時、4人部屋のベッドは満床で病室は出入り口すぐの左側でしたね。

 ドアは開放され、医師や看護師が頻繁に出入りし、ベッドは床から35センチあいている薄いカーテンで仕切られているだけでした。外科医と面識のない医療従事者がこれだけ判決に疑問を投げかけるのも状況的に無理があると分かっているからです。

 ――術後、看護師が脇に体温計を挟もうとしたら、患者が「ふざけんな。ぶっ殺してやる」と小声で話したのに、本人はその記憶がないそうですね。

 1審では13回公判が開かれ、看護師3人、麻酔科医、同室の入院患者と私が証言し、いずれも信用性が高いとして事実と認定されました。「ふざけんな」という発言は当時、患者が幻覚を見ていたことを示します。高裁の裁判官は直接証言を聞いておらず、「カルテに記載がなかったから」「病院関係者なので信用できない」と看護師の証言を退けた。せん妄の診断は医師がするものであり、看護師は様子がおかしいことに気付いてもせん妄状態かどうかの判断はできません。看護師の話を聞かなければ、患者の客観的な状況に関する証言者はいなくなります。

 ――1審で採用された看護師の証言が、認められなかったのはなぜですか。

 病院側に有利な発言をするからということでしたが、その根拠は何も示されていません。証言内容に客観的事実と違うなど疑わしいことは何もないのに、ただ病院の看護師であるというだけで証言を採用しないというのは、患者観察のプロで国家資格者である看護師をないがしろにするものです。医療従事者としてどちらの側に立つとかではなく、真摯に患者に向き合って見聞きしたことを、ありのままに証言したに過ぎません。

 ――1審では「約20分間、せん妄状態に陥っていた可能性が十分ある」と判断されたのに、高裁では「せん妄に伴う幻覚は生じていなかった」と覆りました。

 高裁の判断は、せん妄の国際的な診断基準によらずに「せん妄ではなかった」「幻覚を見た可能性はない」と断じており、医学的根拠が全くありません。日本医師会会長が強く非難していたところですが、実際に私は見ています。術後、病棟師長から病棟主治医である私のところに「患者さんが興奮しているので、すぐに来てください」と連絡がありました。病室に駆け付けると、母親が「そんなことあるわけないじゃない」と言い聞かせていました。すぐにせん妄状態だと分かり、「麻酔薬と鎮痛薬の影響で一時、変な夢を見ることがあります」と2人に説明しました。実際、患者には通常より多量の麻酔薬が使われていました。

■ずさんだった科学捜査研究所の鑑定

 ――高裁判決では「患者の証言が具体的で迫真性が高く、知人に送ったLINEの内容とも符合する」と述べています。

 せん妄状態下にある患者は、客観的な事実と同時に幻覚を見ることがあり、幻覚か否かの区別がつきません。幻覚に応じた行動を取りますし、記憶にも残ります。せん妄状態下で電話をかけたり、LINEを送ることもできます。高裁判決は、せん妄診断の専門家が実例を挙げて説明した証言を全て退けたのです。実際、スマホを手渡したのは看護師ですし、送信相手は普段から一番多くやりとりをしている知人です。最初に送ったメッセージは「たすけあつ」…「て」…「いますぐきて」という平仮名で短く、誤入力があるものでした。

 ――高裁は患者の証言を「犯行の証拠として強い証明力を有する」と断じ、有罪判決を下しました。

「ふざけんな……」という発言の時に患者がせん妄状態下で幻覚を見ていたことは、高裁も認めています。LINE発信の後に患者は「ここはどこ? お母さんどこ?」と看護師に話していました。この間、継続してせん妄状態下にあったことは明らかというのが、せん妄診断の専門家の証言です。せん妄状態下では注意障害、認知障害などの意識障害が出ます。高裁はこれを全て受け入れず、患者の証言に証明力があるとしました。術後はせん妄状態になるケースが相当あり、これは医療現場の常識です。また複数人で診察をすることは困難です。このような医療現場の実態を無視して患者の訴えをうのみにして有罪になるとなれば、怖くて日常の医療行為ができなくなり、今後も同じ悲劇が繰り返されます。医療従事者の間で支援の輪が広がっているのは、皆、それを一番危惧しているからです。

 ――最高裁でどんな裁判が行われることを期待していますか。

 日本中の医療従事者が注目しています。せん妄状態にあった場合の患者の証言に信用性があるかについて医学的・科学的な根拠に基づき判断して欲しいと思います。なんとしても無罪を確定させ、彼の名誉を回復させてあげたいと強く願っています

(聞き手=滝口豊/日刊ゲンダイ)

▽八巻秀人(やまき・ひでと)1963年、東京都葛飾区生まれ。91年岡山大医学部卒。医療法人財団健和会みさと健和病院入職、三井記念病院乳腺内分泌外科などを経て、現在は健和会柳原病院外科部長。

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