三権分立を知らない政府自民党 内閣による「解釈変更」などあり得ない
安倍晋三政権時の高市早苗総務相の下で、放送法4条の「政治的公平」性に関する政府解釈が変更されたか否か? の問題が、泥仕合の様相を呈している。また、同じく安倍政権下で憲法9条の解釈変更が行われ、例外的に海外派兵が許されることになった。さらに、菅義偉政権下で、日本学術会議法の解釈変更が行われ、会員の任命について首相に拒否権があるとされた。
しかし、改めて考えてみたら、行政府(時の内閣)により憲法や法律の「解釈」が変更され得るということ自体が、おかしいというか、憲法違反ではあるまいか。
誰でも知っている「三権分立」であるが、これには深い正当な意義がある。
まず、「法律」は、国民の人権を制約し得る唯一の法形式(根拠)である。それは、人権の保有者である主権者国民を直接代表する国会だからこそ制定できるものである。法律は、議員から提案されたものであれ内閣から提案されたものであれ、国会で審議され、一定の目的と「意味」を持って制定される。これは立法府としての国会の意思で議事録に残っている。そして、執行府としての内閣はこの国会の意思を忠実に執行すべき立場にある。だから、国会の意思である法律の意味を内閣が勝手に「解釈変更」などと称してねじ曲げてよいはずはない。
同じく、国会での審議を経て、その過程で各条文の意味が確定され議事録に残り、主権者国民の最高意思として制定された「憲法」についても、それに拘束されるべき(憲法96条)内閣が勝手に「解釈変更」などを行ってよいはずがない。
内閣は、法律を執行していく過程で法律に不都合を発見したら、それを法律の改正案として国会に提出して、国会の審議の中で新法という形で法律の「意味の変更」を国会から与えられてからそれを執行すべき立場である。
同じく、内閣が、現行憲法を運用していて不都合を発見したら、憲法96条に従って、改憲を提案し、国会審議と国民投票を経て、改正条文を与えられたらそれを運用するだけのことである。だから、それ以外の「解釈変更?」などあり得ない話である。
◆本コラム 待望の書籍化! 大好評につき4刷決定(Kindle版もあります)
「『人権』がわからない政治家たち」(日刊現代・講談社 1430円)