負けてから没収試合→勝利認定、おかげで初優勝した“お化け実話”
プロ野球のペナントレースにとって9月は最終盤、中秋の名月の頃は大詰めとなる。注目はむろん優勝争い。90年に及ぶ歴史ともなると、ウソのようなホントの出来事も少なくない。今回は、負け試合が勝ち試合に化けて優勝となった──という話を紹介しよう。
太平洋戦争が終わって間もなく再開された、1946(昭和21)年のペナントレースだ。巨人、阪神、阪急、中部日本、セネタース、ゴールドスター、パシフィック、グレートリングの8球団が国内にいた選手、復員の選手を片っ端からかき集めた。選手登録で最も多かったのが巨人で30人、あとは25人前後だった。
メンバーを見ると、指導者の選手兼任が多かった。巨人などは藤本英雄監督が投手、中島治康コーチが外野手を兼ねた。グレートリングの山本一人監督、阪神の藤村富美男監督、中部日本の杉浦清コーチはいずれも内野手、ゴールドスターの坪内道則監督は外野手をそれぞれ兼任している。
このシーズンは優勝がグレートリングで65勝38敗2分け、勝率6割3分1厘。2位の巨人は64勝39敗2分け、勝率6割2分1厘。ゲーム差は1だったのだが、グレートリングは「1敗が1勝に化けた」おかげで初優勝という“お化け実話”があったのだ。