多くのナゾが残り「動機」も不明なのに…京都の安達結希くん事件の報道はなぜパッと消えたのか
「人殺しにプライバシーなどない」
私のような古い週刊誌屋は、先輩からそうハッパをかけられ、犯人や被害者の親族、友人、仕事場の同僚を回り、犯人の家のゴミ箱まで漁った。
私たちは「取材靴」といっていたが、つま先に金属の入った頑丈な靴を履き、取材先の家のドアを叩く。相手が何者かと思って顔を出すと、こういう者ですがと名乗りながら、戸の隙間に靴を差し込む。
「帰ってくれ!」と怒鳴るが、戸は閉まらない。「そこを何とか、お宅は殺人犯の○○と親しかったですね」と次々に質問を投げかける。中にはほとほと困って、ポツリと本音を漏らしてくれる人もいた。
8人の女性を強姦殺害した大久保清が逮捕されたのは1971年。私と若い記者は、大久保の両親が群馬県の温泉にいることを突き止めた。風呂帰りの両親に声をかけると、「おまえらのような虫けらに話すことなどない」と一喝された。
73年、立教大学の助教授が愛人の女子学生を山中に殺して埋め、一家心中した。雑誌は記者クラブに入れないから情報がない。仕方ないので記者と2人でスコップを買い、夜中、遺体を捜してあちこち掘り起こして、警察にどやされ、慌てて逃げた。私の回顧譚はこれくらいにしておこう。


















