【13’ドラフト選手 家庭の事情】オリックス1位 吉田一将 (JR東日本 投手)
清美さんは派遣の仕事で家計を支えた。
小2で軟式野球を始め、小4で硬式に転向。が、「野球だけをやらせていたわけではないんです」と清美さん。その前からすでに公文、習字、合気道の3つを習っていた。野球を始める時、「何か1つでもできなくなったら野球をやめること」と清美さんと約束。公文が週2日、習字と合気道が週1日ずつ、土日と祝日は野球と忙しい日々を送っていた。それでも吉田は約束を守り、小学校卒業までこの4つを続けた。この頃、清美さんは潜さんに聞いたことがある。
「一将は野球の才能あるの?」
すると、潜さんはこう答えたという。
「ないと思うよ……」
花が咲くのはまだまだずっと先のことだった。
■「2人とも手を上げた」
野球は潜さん、勉強などは清美さんと橿原市内でOLをしている姉の宏美さん(28)が面倒を見た。しつけは厳しかった。
「2人(両親)とも手も出しました。人の道を外れないよう、親への態度とかに関しては厳しくしました。中学に入っても、家庭教師に週1で来てもらっていました。成績は500点満点中400点くらいはありました。『400を切ったら家庭教師を週2にするよ』って脅したりして(笑い)。その頃は将来プロ野球選手になるなんて夢にも思ってませんでしたから、野球だけの子にはしたくなかった」(清美さん)