V9「左のエース」高橋一三氏の死を元巨人で同姓の善正氏悼む
「善ちゃん、行こうか」
「いいねぇ」
私が東映から巨人に移籍して1年目、V9最後のシーズンとなる73年のことだ。巨人に来て間もない自分にしばしば声を掛けてくれたのは、当時の左腕エース・高橋一三だった。
自分が2つ年上。年齢が近いこともあって、キャンプ地の宮崎や遠征先ではよく、一緒に食事に出掛けた。ひんぱんに足を運んだのは広島の和食店。ナイター終了後、カウンターに並んで座り、小鯛、めばる、のどぐろなど瀬戸内の魚をつまみながら話をした。
巨人にはこんな規律があると聞かされて「ホントかよ!」と驚き、「東映にはそんなもん何もなかったゾ」と笑ったりもした。
一三は広島で、私は高知出身。ともに魚どころで育ったせいか、べらは煮付けがうまいなどと魚に関するうんちくを語り合った。ビールが好きだったが、魚を食べるときは熱燗を飲んだ。飲んでも決して酔わないし乱れない。酒は強かった。
長嶋監督の就任1年目の75年、巨人は最下位に転落した。その年の投手陣9人で「さいかい」という会をつくった。「最下位」と「再会」をかけたのだ。メンバーはいまでも、年に何回か集まっている。私も一三も「さいかい」のメンバーだ。