指導者として最大の後悔 広島岩本は名球会級の才能だった
打撃統括コーチだった私は、松田元オーナーから直接「岩本を見てやってくれ」と頼まれていた。1年目から二軍のほぼ全試合に4番で起用。最終的に二軍ではリーグ2位となる14本塁打を放った。これは二軍にいる選手ではない――。そう感じた。何とか一軍に行かせようと、私も周囲も躍起になった。しかし、インコースが苦手という弱点が、はっきりしていた。
10年からは一軍で出場機会がもらえるようになり、ノーステップ打法で14本塁打。大器の片鱗を見せ始めたが、11年に膝を故障し、レギュラー定着の機会を失った。苦手なインコースを意識するあまり、どうしてもかかと体重になってしまう。開きが早く、ボールの見切りも早いから変化球に対応ができない。ボール球に手を出すという悪循環だった。さらにアウトコースを逆方向に飛ばすという長所にも影響が出始めた。
1打席限定の代打向きではなかっただけに、レギュラーをつかめない選手は出番を失う。緒方孝市監督が就任した15年からは出場機会が激減した。
■足りなかった「再現性」


















