韓国に追い付かれ味方DFに思わず「こっちが入れよるわりによう奪われとるやないか」
■生まれて初めてのビクトリーラン
韓国戦ではチーム2点目を決め、南ベトナム戦では後半の早い時間帯に値千金のゴールを決めてくれた。うれしいやら、ホッとするやらでゴールが決まった瞬間、杉山さんを抱擁するために両手を広げながら近寄っていったことを覚えている。
大きな日の丸の旗を長沼健監督(同37歳)が用意してくれていた。その旗を高く掲げながらグラウンドを一周した。
生まれて初めてのビクトリーラン。本当にうれしかった。
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メキシコ五輪行きを決めた翌年1月、西ドイツ(当時)に単身でサッカー留学に赴いた。これがストライカー・釜本をひと回り大きくした。 =つづく
(取材・構成=絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽釜本邦茂(かまもと・くにしげ) 1944年4月15日生まれ。京都市出身。京都・山城高から早稲田大。ヤンマーでは監督兼選手も務めた。日本リーグ通算202得点と通算79アシストは歴代1位。国際Aマッチ76試合75得点は男子歴代1位。64年東京五輪出場。68年メキシコ五輪で銅メダル。アジア人初の得点王。第1回日本サッカー殿堂掲額。2014年に旭日中綬章受章。大学、代表の先輩から親しみを込めて「ガマッチョ」という愛称で呼ばれている。