単身で西ドイツ留学 プロ予備軍の群れに放り込まれ一本もパスが回ってこなかった
メキシコ五輪イヤーの1968年を迎え、1月17日に東京・国立競技場で西ドイツ(当時)の五輪代表と強化マッチを行い、翌18日の帰国便に同乗した。「日本サッカーの父」と言われたクラマーさんも一緒だった。
行き先は、フランスとの国境にほど近いドイツ西部のザールブリュッケン市。そこのスポーツシューレに寝泊まりしながら約3カ月、単身でサッカー留学というわけや。
ヤンマーサッカー部の山岡浩二郎部長が、入社するに当たって「西ドイツ留学を用意する」と約束してくれた。ヤンマーのためにも、68年10月開幕のメキシコ五輪に出場する日本代表のためにも「サッカーの本場・西ドイツでひと回り大きくなって帰ってこい!」ということだった。
クラマーさんが、ザールブリュッケン市のあるザールラント州サッカー協会の主任トレーナーを務めていたデアバルさんをコーチの適任者として推薦してくれた。
それにしてもスポーツシューレの素晴らしい環境には驚かされたな。
森の中にサッカー以外にもボクシングやレスリング、柔道やウエートリフティングなどさまざまな競技の活動拠点としてグラウンド、トレーニングルーム、宿泊施設、ミーティングルーム、食堂などが完備されていた。