初戦で6得点のWハットトリック 「10点以上取って勝て」長沼監督の指示は明快だった
1964年東京五輪で1得点を記録したといっても、胸を張れるようなゴールではなかったな。順位決定戦のユーゴスラビア戦でMF八重樫茂生さん(当時31歳=古河電工)のシュートをGKがはじき、ボールの処理にもたついている間に押し込んだもの。大会を通じて2アシストをマークしたが、喜びなんて1ミリもなく、フラストレーションしか残らなかった。
東京五輪で活躍したFW杉山隆一さん(同23歳=明治大)が、アルゼンチン代表の関係者から「20万ドルで欲しい」とオファーを受けたという話が広まった。当時のレートで約7000万円。プロ野球の長嶋さんや王さんよりも高額年俸や。同じ大学生なのに差をつけられてしまった。
「置いてけぼりにされてなるものか」と4年後のメキシコ五輪に照準を合わせ、サッカーにより集中して鍛錬を重ねた。
67年に早大を卒業してヤンマーに入社した年の9月、メキシコ五輪のアジア予選が始まった。日本、フィリピン、台湾、レバノン、韓国、南ベトナム(当時)による総当たり戦。1位だけに五輪切符が与えられる。