レンジャーズMLB初制覇は「データと経験の融合に成功」米国修行2年の日本人が得たもの

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 今オフ、ソフトバンクに2年ぶりの復帰を果たした倉野信次投手コーチ(49)。2021年オフに球団を退団し、レンジャーズに入団。昨季はコーチ研修生として無給で働くと、今季は同投手育成コーチに就任。計2年間の米国修業を終えた倉野コーチがこのたび上梓したのが、「踏み出す一歩 そして僕は夢を追いかけた」(ブックダム、1650円)だ。日米両方のプロ球団で、投手コーチ契約を結んだ日本人は倉野コーチが初。米国で見たもの、得たものは何か。本人に聞いた。

 ──米国にコーチ修業に行ったきっかけは何だったのですか?

「ホークスでコーチをしていた時、選手同士の会話が聞こえてきたり、ブルペンで投げ終わったときに選手と話すと、僕の知らない単語や理論がたくさん出てきた。それが米球界の理論であることはわかったのですが、『これは自分で経験しないといけないのでは?』と思い、決断したのがきっかけですね」

 ──MLB球団にはどのようにアプローチをしたのですか?

「ホークスにも探してもらっていたのですが、あまりうまくいかなかった。知り合いを通じて、最終的にレンジャーズにつながった形ですね。ただ、コーチ研修が決まったのは2022年の1月中旬。当時の僕は非常に安易に考えていて、すぐに決まると思っていました。『日本でコーチもしていたし、コーチ研修の受け入れってそんなに難しいのかな』なんて考えていたのだから、本当に甘かったんです」

 ──ソフトバンクを退団し、無給のコーチ研修。周囲やご家族は反対しなかったのですか?

「家族には何年も前から思いは伝えていましたので、渋々で納得はしていないだろうけど、最終的に首を縦に振ってくれました。ただ、周りにはなかなか理解してもらえなかったですね」

 ──MLBにコーチを派遣する球団もある。その形で行こうとは考えなかったのですか?

「実はその可能性もありました。でも、そうすると何か……自分の求めているものとは違ったものしか得られないのではないか、と思って。結論から言えば、自費研修だから自分のためになった。貯金を取り崩して渡米したので、『一日でも無駄にしたくない』という意識になれた。もし、球団から給料をもらいつつ、派遣で行っていたら、物事に対するアンテナの張り方が弱くなっていたでしょうね」

 ──米国での指導者生活で、日本のそれと大きく違う部分は何がありましたか?

「ミーティングの重要性とコミュニケーション能力です。米国では、みんなで意見を出し合い、共有し、いいものをつくり上げる風潮がある。そこで自分の意見を言えないと、『仕事ができないヤツ』と判断されてしまう。情報を共有するためには、同僚と円滑なコミュニケーションを取らなければいけない。だから、英語ができない僕は最初、本当に苦しかった。ホークスのコーチ時代に中南米に行った経験もあるし、コロナ禍前は毎年、海外旅行をして不自由はなかったのでいけるかな……と思っていたのですが、甘かったですね(笑)」

 ──プロ野球のミーティングと違う部分は?

「回数と綿密さです。スプリングキャンプではほぼ毎日、各部門のスタッフから選手への教育が行われているのも違いです。米国はチームとしての意思統一、そして教育を凄く大切にしている印象です」

 ──米国のコーチは、「聞かれるまでは教えない」というのが主流と聞きましたが。

「それは2Aより上、ほとんど出来上がった選手に対してですね。まだまだ教育が必要な若手らに対しては、日本のコーチ以上に細かく指導しますよ。もっとも、僕は選手自身が危機感を抱いてなかったり、『コーチに聞く』という発想すらない場合は、コーチ側から選手にアドバイスをするのも必要だと思っています。もちろん、押し付けはいけませんが、それもコーチング(導く)ということだと思います」

 ──データの扱いに関してはどうでしょうか?

「日本に比べると、細かさやデータの量がケタ違いですね。最初は何が何のデータなのか、さっぱりわからなかった。指標の数も、セイバーメトリクスの倍では利きません」

 ──どのようなデータがありますか?

「例えば、投手の被打率。この球種は被打率がこれくらい、という数字がさらに細分化されている。打たれたといっても、それが打球速度160キロのクリーンヒットなのか、ボテボテの内野安打なのか。だから、米国では単純な防御率の数字はほとんど評価されません」

数値では測れないもの

 ──やはり、MLBはデータ至上主義なのですか?

「うーん……。まあ、今はそうだと言えるかもしれません。でも、それを覆したのが今季のレンジャーズです」

 ──球団史上初の世界一になりましたね。

「そのレンジャーズに2年間在籍して、僕なりに検証した結果、重要なのは『データと主観のバランス』なんだと思います。確かにレンジャーズは若手の育成もうまいが、補強もかなりしている。でも、補強したから勝てるほど甘い世界ではないことは、メッツやホークスが証明してしまった。では何が決め手かといえば、僕はボウチー監督とマダックス投手コーチが就任したことが大きいと思っています」

 ──と言いますと。

「ボウチー監督は68歳、マダックスコーチは62歳。いずれもオールドスクールと呼ばれる年齢です。近年のメジャーは若くて数字に強い指導者が主流ですが、それに逆行した。そこにヒントがあったんです。例えば、投手交代のタイミングに関するデータなんて明確にはありませんが、ベテランの指導者はそこを見抜くのがうまい。それがデータでは表せない主観、経験です。選手のモチベーションを上げる人心掌握術も、数値では測れません。豊富なデータによる裏付けと、首脳陣の経験。これが融合した結果が、レンジャーズの世界一だと思います」

 ──どちらかに偏っていてはダメだと。

「僕が目指すのもそこです。以前は『日本一の投手コーチになる』という夢があった。投手のことなら何でも一人で解決できるスーパーマンみたいなコーチになりたかった。でも、今回のコーチ修業で、それは無理だとわかった。なぜなら、上には上がいることを知ったからです。だから今は『日本一の環境をつくれるコーチ』が目標です。あの分野なら誰に聞きなさい、こっちのアドバイスならあの人に、と最適な指示をし、選手にとって最高の環境をつくる。どうすればそれをつくれるか、日々考えています。重要なのはハイブリッドです」

 ──主観とデータのハイブリッドですか。

「それだけではありません。今回のコーチ修業ではさまざまなことに気付かされた。日米の融合もそうです。米国にあって日本にはないデータの中で、日本のプロ野球に合ったものは何か。どうやって導入するか。逆に日本人の持つ気遣いや謙虚さなどの美徳を消さないようにどうすべきか。メンタルという意味では、根性論だって不必要ではありません。データ一辺倒だった米国では、経験や主観などが見直されてきています。それでもデータ重視時代に得た良いものは残す。トライアル・アンド・エラーを繰り返して、らせん階段のようにレベルを上げていく。リスクやデメリットなどを恐れず、まずは振り切るまで挑戦するのが米国の文化です。そこは僕も大切にしたい。まずは挑戦すること。本のタイトルを『踏み出す一歩』としたのは、僕からのメッセージでもあり、僕自身へのメッセージでもあるんです」

 (聞き手=阿川大)

▽倉野信次(くらの・しんじ) 1974年9月15日、三重県出身。青学大から1996年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。主に中継ぎや谷間の先発として活躍。2007年に引退し、その後は球団スタッフや投手コーチを歴任。21年オフに退団し、2年間、レンジャーズのマイナーで研修、指導をした。現役通算164試合341回3分の1、19勝9敗1セーブ、防御率4.59。

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