広島市民球場でプロ初出場も…一軍との大きなレベル差を痛感した
かつての広島市民球場はロッカールームがめちゃくちゃ狭く、ベテラン選手と首脳陣で満員になる。若手や控え選手は暑くてホコリが飛ぶ廊下で着替えるのがルーティンだった。中堅クラスになるとようやく、エアコンの効いたスイングルームでの着替えを許された。
球場自体も狭かったから、ベンチとバッターボックスが異常に近かった。星野監督の怒号は丸聞こえ。打席で変な空振りや見逃しでもしようもんなら、「何やっとんじゃあ!」と怒鳴られる。まともにバットが振れるわけがないよ。
当時の一軍は「修行の場」だった。遠征中も朝練が日課。ホテルでバットスイングをすることもあれば、宿舎の外へ打ちに行くことも。広島遠征の際には、かつて西区三篠という街にあったカープの一軍寮の施設を借りて練習した。
俺を含めて4人ほど、朝10時から1時間半ほど練習し、昼食を食べてから球場へ向かう。民家の横に室内練習場があり、練習場のそばに小さなバッティングケージが2つあった。
眠い目をこすりながら打撃練習をしていると、室内横に住むおばちゃんが、キンキンに冷えた麦茶を持ってきてくれて、大喜びしたものだ。汗まみれになりながら一気に飲み干すと、不思議と疲れが吹っ飛んだ。
おばちゃんの麦茶の味、一生忘れない。