1000円の小遣いでも嬉しかったほど安月給でも、「カネはない」など口が裂けても言えなかった
プロ3年目で一軍初出場となった1989年9月7日。初打席の空振り三振で味わった一軍と二軍の実力差。「上」と「下」の違いは待遇面にも及ぶ。
星野仙一監督はあえて、一、二軍に大きな格差をつけた。二軍で遠征に行けば、肌着類は全て自分で洗わなければいけない。ランドリー屋さんに出せるのはユニホームだけ。アンダーシャツ、スラパン、靴下、下着は自分でコインランドリーに持って行って洗わざるを得なかった。
ホテルのランドリーは空いていないことも多い。宿舎の外のコインランドリーまで足を運ぶ必要があった。先輩選手から、「洗濯してこい」と頼まれた分も合わせて、両手いっぱいに衣類を抱えてホテルと往復した。
食事も全く違った。阪神戦は一、二軍ともに兵庫・芦屋市内にあるホテル竹園に泊まったが、一軍の食事量や品数は、少なくとも二軍の3倍以上はあった。球場のケータリングもホテルから提供してもらっていたが、明らかに質と量が違った。二軍にいる時には気付かなかったが、一軍に同行するようになって驚いた。夕食はしゃぶしゃぶが多く、同部屋になった先輩の横について鍋当番をするのが暗黙のルールだった。