「鶴岡さんから4番バッターが必要なので(東京に)来てくれと言われていたから先に移籍して待っていた」
とは、森の後日談。それどころか、永田が67年の監督に選んだのはあの濃人のコーチからの昇格だった。森はこの年こそ91試合に出場したが、翌68年はわずか7試合9打席で無安打、守備は1試合のみ。この年限りで引退し、実業家になった。一度は南海監督をクビになった鶴岡の転身先は現在でもナゾとなっているが、森の言葉が答えのような気がする。
長嶋と並ぶゴールデンボーイは実働11年で球界を去った。わがまま、短気、ゆえに早とちりのバットマンだった。