長嶋茂雄と並ぶゴールデンボーイ 悲運の“ムリ・トオル”…わがまま、短気、ゆえに早とちりのバットマン
今年6月3日に89歳で亡くなった長嶋茂雄は立大から巨人入りし、「ゴールデンボーイ」と呼ばれた。
実はもう一人、そう呼ばれて騒がれた早大のスラッガーがいた。中日入りした森徹(もり・とおる)で、東京六大学リーグで打ち合った同期生である。
2人は、優勝した1955年(昭和30年)のアジア選手権で2年生ながら東京六大学選抜の3、4番を任され、「NMコンビ」を形成した。
森は資産家の息子で学力優秀。早稲田学院高、早大を通じて特待生。加えて柔道の猛者でオリンピック代表にも勝つほどの実力者だった。文武両道のうえ、後見人はプロレスの大ヒーロー・力道山。文字通り“怖いものなし”の学生だった。
その森は、巨人から誘いがあったのに蹴った。「巨人の大幹部が学生に高い契約金を出せるか、とマスコミに言った。ふざけんな、と(入団を)断ったんだよ」と語っている。
中日に入団したのは、「長嶋-森の3、4番を予定している、と言われたから。長嶋は中日入り、という話を聞いていたからね。ところが、長嶋は巨人に行っちゃった」とこれも本人が証言している。