ロッテ稲尾和久監督に結婚式の仲人を依頼すると、「まさか」の展開に
                        
 むしろ「次は頑張れ」と、背中を押してくれるような監督だった。私自身、両打ちの習得を含め、必死で練習、試合に取り組んでいた自負があった。稲尾さんも、そういう私の姿を見てくれていたのだと思う。
 84年は、落合博満さんが一塁へコンバートされたことで空いた二塁での出場機会が増えた。翌85年に打率3割をマークし、ベストナインとダイヤモンドグラブ賞(当時)を獲得。86年に初めて盗塁王のタイトルを獲得することができたのも、稲尾さんの後押しがあったからこそだ。
 そんな稲尾さんは、気遣いを欠かさない人だった。西鉄時代から福岡にゆかりのあることもあって、開幕前には毎年必ず、私の自宅へ水炊き鍋のセットを送ってくれた。
 プロ4年目を終えた1986年1月、妻の地元である鹿児島で結婚式を挙げた。宮崎出身の私としても、地元の家族や親戚、知人、友人を招待しやすかった。式場はキャンプ宿舎でもあるサンロイヤルホテルに決めた。
 監督である稲尾さんに仲人をと思い、結婚の報告をするとともに、「ぜひとも、仲人をお願いできますでしょうか」と伝えた。
                    

 
                             
                                        

















 
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
         
         
         
         
         
         
         
         
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                