達川光男は東洋大時代から口八丁手八丁 愛嬌があって、だれからも好かれる男だった
「いいか、よく見ておけよ! 左投手のボールはなぁ、こうしておっつけて、センターから右に打ち返すんじゃ!」
後輩たちにこうアドバイスしながら、左投手に投げさせたものの、1球……2球……とバットは空を切る。
「あれ……? おかしいのう……」
4球、5球……結果は同じだった。
「こんなはずじゃ……」
部員たちは笑いをこらえるのに必死だった。
後輩を教えにきたときはスーツ姿だったとはいえ、達川は着るものに無頓着だった。4年間のほとんどをジャージー姿で過ごした。
それも高校時代から、はき古したもの。「これがはきやすいんです」と言って、4年間、ほとんど同じジャージーで通した。
親御さんは広島で手広く商売をしていた。年に一度、1年分の生活費をまとめて仕送りしてもらっていたようだ。かなりの金額だったと聞く。しかし、ジャージーも新調しようとはしなかった。


















