「六月の満月」一雫ライオン氏

公開日: 更新日:

「六月の満月」一雫ライオン氏

 昨年6月から日刊ゲンダイで「十二の眼」を連載した著者が、ほぼ同時進行で書き下ろした長編小説が本作。「十二の眼」はテンポの速い社会派ミステリーだったが、こちらは胸に迫る恋愛小説だ。“罪を犯した人間が幸せになっていいのか”という一筋縄ではいかない問いを内包して、静かな物語が進行する。

「運と因果に引きずられる男と女の物語を書こうと思いました。母を守るために人を殺めてしまった男と、大切なものを守れずに失って、毎日を罰として生きる女。そんな主人公2人が光に向かっていく物語、というところまでは決めていたんです」

 ところが、執筆は始められなかった。2022年2月にステージⅣの上咽頭がんが見つかる。40代半ばでデビューした遅咲きの小説家が、全力疾走を始めた直後のことだった。

「神様、なんてことしてくれるんだ! と思いました。でも、頑張って病気を治すからね、絶対に書くからね、と胸の中で物語を温めていました」

 闘病、生還、そして執筆開始。登場人物がようやく動きだした。

 主人公の章吾は12年の刑期を終えて出所、ネジをつくる町工場で働き始める。32歳になっているが、これからどう生きればいいのか分からず、孤独な毎日を送っている。もう一人の主人公、実日子は、老夫婦が営む小さな弁当屋で働いている。客に向ける明るい笑顔の陰に、大きな悲しみを隠して生きている。

 誰にも言えない過去を背負った2人は、町の片隅で出会い、惹かれ合い、日常を共にするようになる。2人を結びつけたのは、恋のときめきでも愛の歓びでもなく、もっと切実なものだった。実日子は章吾に向かって言う。〈どうせ、毎日はつづくんですから〉。

「この言葉は、僕がステージⅣのがんを経験していなければ出てこなかったと思います。この場面を書いたとき、物語の軸ができた気がしました。つらくても苦しくても、毎日は続いてしまう。だから2人は、少しでも光のある方向へ行こうとします。僕たちだって、生きていればいろんなことがあります。苦しい明日が来てしまう。だけど、光はある。そう感じていただければうれしいです」

 2人がささやかな幸せをつかみかけたとき、満ちた月が欠けるように物語は転回する。第3の主人公ともいうべき謎の美青年、琉人が登場すると、不穏な気配が生まれ、ミステリーめいてくる。生意気だが可愛くて、どこか陰がある琉人。彼は天使か、それとも悪魔か。3人の宿命が交錯し、物語は加速する。“罪と罰”という重いテーマを扱っているのに、暗い沼にはハマらず、読者を引っ張っていく。

「どんなテーマでも、絶対にエンターテインメントにすると決めているんです。僕の人生、いろいろありましたが、小説にしろ映画にしろ、エンタメに救われてきたなあ、という思いがあります。世に出して、『うまかった!』『いいもの食べた』と思っていただけるようなエンタメを書けたらいいなと思います」

 本作は、悲しくて、苦くて、でもあたたかい余韻を残す大人の味の人間ドラマ。文句なしにうまい。 (流星舎 1870円)

▽一雫ライオン(ひとしずく・らいおん) 1973年生まれ。東京都出身。明治大学政治経済学部二部中退。俳優としての活動を経て、演劇ユニット「東京深夜舞台」を結成後、脚本家に。多くの作品の脚本を担当後、2017年に「ダー・天使」で小説家デビュー。21年、女性判事と元服役囚の悲恋を描いた「二人の嘘」がベストセラーとなる。その他の作品に「スノーマン」「流氷の果て」など。

【連載】著者インタビュー

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • BOOKSのアクセスランキング

  1. 1

    女3人で「姦」、では、男3人「𪟧」は何と読む?「辞典には載っていない絶滅漢字図鑑」竹澤雅文(拾萬字鏡)著

  2. 2

    渋さと垣間見える緩さが紛れもなくパトレイバー│「『機動警察パトレイバー』寿司屋の後藤」伊藤和典著

  3. 3

    「すすきの近くの喫茶店でバイトしていたときに経験したのことを膨らませた物語です」──「HOTEL NIGHTHAWKS」小路幸也氏

  4. 4

    詩をはじめる本屋 蒼枯(東中野)「自分が詩で感じたことをベースに他のジャンルのものを引っ張ってくるみたいな」

  5. 5

    山崎ナオコーラ(作家)自分たちの生きる能力の低さを実感

  1. 6

    (61)あんたは、ここにいちゃいけない

  2. 7

    一度は行ってみたい世界遺産、飛鳥・藤原の宮都を知る本特集(1)飛鳥はなぜ宮都に選ばれたのか

  3. 8

    「その犬をください」逢坂冬馬著│明治から令和までの人間と犬の姿を描く連作集

  4. 9

    現実の地面師事件はドラマ以上に複雑 「地面師VS.地面師 詐欺師たちの騙し合い」森功著

  5. 10

    マリー・アントワネットは洞窟から「王妃の村里」へ│「驚異の隠し部屋世界各地の内緒の部屋・秘密の抜け道・迷宮・秘宝」ステファン・バックマンほか著 片山美佳子訳

もっと見る

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    バナナマン日村勇紀の幸せ休養生活 “愛妻”神田愛花アナとのベッドからは唐揚げがポロリ!

  2. 2

    中日次期監督に工藤公康氏が選ばれて、桑田真澄氏が落選したワケ…元SBコーチ「工藤野球」の正体明かす

  3. 3

    参院立ち往生で簗農相ジ・エンド…「知恵袋のやなちゃん」辞任第1号秒読み

  4. 4

    坂口健太郎「kiDnap GAME」視聴率より痛い“吹き替え問題”…イ・ジュンギのファンまで反発したフジの選択ミス

  5. 5

    バナナマン日村が簡単に復帰できそうにない「もう1つの理由」…レギュラー11本抱える人気者のジレンマ

  1. 6

    高市首相“利益誘導”自慢の呆れたセンス…国交省1兆円交付金「確保」335回もアピール

  2. 7

    広島が元ヤクルト監督・GMの小川淳司氏を編成担当で招聘した「本当の理由」

  3. 8

    『ディグ・イット』名曲の直前に入っているせいで“しょうがなく”聴かされる

  4. 9

    山川穂高が「4.5億円の置物」に…ソフトバンクが頭を痛める“引き取り手”の付かない厳しい現実

  5. 10

    芳根京子「べっぴんさん」はNHK朝ドラ〈ヒットの法則〉を実践していた

おすすめ求人情報

Sponsored by 求人ボックス