著者のコラム一覧
増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

群れという制度を描く物語 『銀牙―流れ星 銀―』(全18巻) 高橋よしひろ作

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『銀牙-流れ星 銀-』(全18巻) 高橋よしひろ作 

 
★あらすじ
 山奥で生まれた紀州犬の子・銀が、過酷な自然と戦いながら成長していく物語である。圧倒的な力を持つ人食い熊・赤カブトの出現により、山の秩序は崩れ、犬たちは群れとして立ち上がることを余儀なくされる。銀は最初から英雄ではなく、恐怖や迷いを抱えながらも、生き延びるために判断し、仲間と連携する道を選ぶ。逃げること、退くことも含めた現実的な選択の積み重ねが、戦いの重みを生む。個の力ではなく、群れとして生きることの厳しさと尊さを描いた、動物漫画でありながら極めて人間的な成長譚。


 主人公の銀は、登場した瞬間から「秋田犬」という名札をぶら下げている。だが、この作品が本当に扱っているのは犬種の誇りではない。群れだ。群れの立ち上がり方、群れの重さ、群れが人を--いや犬を--どう変形させるか。その観察記録である。

 赤カブト編の骨格は単純だ。二子峠に牙城を築いた人食い巨熊・赤カブト。その凶暴さは「悪役」の人格ではなく、山の圧力そのものとして置かれている。祖父シロと父リキが敗れ、銀は仇討ちの物語に放り込まれる。

 奥羽軍は全国から集まった野犬たちの寄り合い所帯である。秋田犬、グレートデン、紀州犬、甲斐犬、マスチフ、ドーベルマン、土佐犬。犬種名を列挙するだけで、すでに社会が見える。血統も体格も技も違う。狩猟犬、闘犬、軍用犬、サーカス犬、放浪犬。経歴が違う個体が、同じ山に立つ。共同体はまず「異物の混在」から始まる。

 そして群れは、理念では動かない。号令と配置で動く。総大将リキがいて、班があり、小隊長がいる。ベンは第1班を束ね、グレートが副官的に規律を支え、スミスが場の空気をつなぐ。赤目の伊賀忍犬は異文化のまま入り、甲斐3兄弟は荒さを抱えたまま戦列に収まる。組織図の線が引かれ、名札が掛かり、役割が振られる。ここで初めて「群れ」が群れになる。仲良し集団ではない。戦うための制度だ。

 この制度はきれいに回らない。常に裂け目を抱える。スナイパーのように総大将の座を狙う者が出る。内側から崩す者が出る。群れは外敵より先に、内部の重力で沈む。共同体は保険であると同時に負債であるという当たり前が、犬の世界で剥き出しになる。

 赤カブトはその裂け目を拡大する装置として機能する。頭数を増やせば守る対象も増える。決断は遅れ、救護が必要になり、足が止まる。テリーが視力を失い、赤虎が片目を潰し、霧風と陣内が落ち、紅桜が湖に沈む。群れが大きいほど、戦死は「誰かの物語」ではなく「配置の穴」になる。穴は埋められない。埋めようとすると、さらに別の穴が開く。そういう手触りがある。

 それでも群れは維持される。なぜか。強いからではない。強いだけなら散る。群れをつないでいるのは、関係の粘度だ。ベンが銀を後継者と見て叱り、クロスが雌でありながら「男」と認められ、モスが別勢力から合流し、ウィルソンが復讐の熱のままに入り、ハイエナが卑劣から改心へ滑る。ここには能力主義の即断がない。役に立たない時間、信用できない時間、裏切りの気配がある時間を、群れが抱え込む。その「滞留」を許す設計が、共同体を現実にしている。

 赤カブト編の終盤、群れは「英雄の一撃」ではなく、分業で勝つ。囮が走る。援護が入る。弱点を潰すために赤虎が単独で左目へ突っ込む。最後に銀が絶・天狼抜刀牙を放つ。だがそれは銀の武勇の栄光ではない。群れが積み重ねた手順の末端に、斬撃が落ちただけだ。銀が総大将になるのも、人格の完成ではなく、群れが次の配置を必要とした結果として読める。椅子が空けば誰かが座る。座った者が正しいとは限らない。

 八犬士編に入ると、この「群れ」のテーマが別の角度から焼き直される。絶・天狼抜刀牙という技が、富士の樹海の謎の集団へ流れてしまう。つまり、群れが持つ文化--技術、規範、伝承--が、境界を越えて漏れる。群れの外に出たものは、もう群れの所有物ではない。謎の集団は四国のビルを一撃で沈め、九州のベムも倒し、白狼の前足を切り落とす。ここで示されるのは、個体の強さのインフレではない。群れ同士の「系譜」の争いだ。どの群れが技を継ぐのか。どの群れが正統を名乗るのか。共同体は戦に勝っても、文化を守れない。

 群れは、勝利のあとに弱る。戦場よりも平時のほうが崩れやすい。赤カブトという外圧が消えた瞬間から、群れは自分の内側の矛盾と向き合わされる。そこへ、富士の樹海という新しい地理が来る。奥羽の雪と違う湿度。樹海の静けさ。足音が吸われる場所。そこで現れる「狼たち」は、外敵であると同時に、群れの過去が別の形で戻ってきたものだ。群れは逃げられない。自分の歴史からは。

 この物語が面白いのは、群れを美談で終わらせない点にある。仲間は尊い。だが尊さは、いつも痛みと同居する。誰かが前に出て、誰かが残る。責任は偏る。犠牲は配分される。功績は均等にならない。そういう、共同体の冷たい重量が、犬の牙と雪と血のにおいで語られている。

 犬の冒険譚ではない。共同体の運用記録だ。奥羽軍という群れが、勝つために何を抱え、何を失い、勝ったあとに何を漏らし、次の群れとどう衝突するか。そこだけを見ても十分に読む価値がある。群れは温かい。しかし同時に怖ろしく冷たい。人間社会と同じだ。
(サード・ライン kindle版 660円~)


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