「堀内恒夫は怖さはないけど巧かった」1967年巨人との日本シリーズの思い出
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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1967年、巨人との日本シリーズ。当時の日本シリーズはすべてデーゲームだった。サングラスをかけた森本の姿が全国ネットのテレビ中継に登場することになる。10月21日、西宮球場。阪急・米田哲也、巨人・金田正一の先発投手で始まった。巨人2点先制の五回裏、長池徳士、森本のヒット、住友平の四球で一死満塁。岡村浩二のヒットで1点を返したが、ここでセカンドの土井正三が悪送球し、森本は本塁を狙ったが走塁死。追加点は入らなかった。七回裏にも森本はセンター前ヒットで1点を返したが、追いつかず3-7で敗れた。
第2戦、巨人の先発投手は堀内恒夫。初回裏いきなり1番ウインディ四球、2番阪本敏三が中前打で無死一、二塁。しかし3番スペンサーが三球三振、4番長池徳士が遊飛に倒れる。ここで5番森本は四球を選び2死満塁。6番早瀬方禧(中京大-阪急-広島)は9球目に外角低めのボールを空振り三振し、先制点のチャンスは潰えた。早瀬と森本は阪急で同期入団。


















