「俺みたいな遊び人は短期決戦が合っていたんだ」 1967年日本S、巨人に敗れるも打撃賞を受賞した
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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いきなり巨人に3連敗し、王手をかけられた1967年の日本シリーズ。しかし、第4戦は阪急打線が巨人の先発金田正一を打ち崩す。金田は連打を浴び、投手足立光宏にも二塁打を打たれて33球でKO。リリーフの渡辺秀武は阪本敏三に3ランを浴びる。五回、森本が三番手の高橋一三からレフトに2ランを打って試合を決定づけた。しかし、意外にも日本シリーズで、森本は堀内恒夫よりも「左のエース」と呼ばれた高橋一のほうが苦手だったという。
「あいつは抜くようなチェンジアップを放ってきたからね。あんな球、当時のパ・リーグでは投げていた投手はいなかった。その後、何度か三振を食らっているはずだよ」
足立は5失点ながら完投勝利で阪急にシリーズ初勝利をもたらした。ベテランの米田、梶本は通用しなかったが、このシリーズで唯一巨人に対抗できた投手が足立だった。


















