酒と女の日々を悔恨「俺は仕事よりも夜の遊び。“子分”の親からの苦情は結構堪えたよ」
スペンサーは64年に阪急に入団。2年目の65年に南海・野村克也とホームラン王争いをしていた終盤、交通事故で右足を骨折した。この故障の前はバッティングだけでなく、激しい走塁でも日本人選手を圧倒していたという。68年に退団後、70、71年はコーチ兼任で復帰している。
「スペンサーには感心したけど、俺自身は投手の癖をメモしたりすることは一切なかった。俺はそこまではできなかったね。仕事に対する執着心がなかったのかなあ。本能で打っていたような感じだよ。それより夜の遊びが優先だった(笑)」
「酒と女の日々」である。
「ミヤには悪い遊びに付き合わせたことはなかったけどね。後輩の某投手や某外野手には夜の遊びに付き合わせていた。ある若手の捕手なんか、俺の子分みたいに連れ回してね。あるとき、その選手の親御さんから苦情が来てね。その時は結構こたえたよ。まあ自分の意思で拒否すればいいだけなんだけど……引退後もその選手のことは気にかけていた」
「遊び人」の悔恨である。
(中村素至/ノンフィクションライター)



















