塩貝健人〈前編〉主要5教科は「オール5」も成績評価は“4.9”…慶大FWの強みと意外な弱点(國學院久我山高サッカー部監督・李済華)
パワーがあるのにキレも落ちない
──何がそんなに変わったんでしょうか?
「体が大きくなり、テクニックが磨かれてきましたね。本人は、とにかく自分を高めることへのエネルギーが物凄く強かった。フィジカル的に強くなり、プレーが安定したことで、メンタル的な自信がつき、向上心もより高まったのかな、と思います。スポーツは心技体ですから、そのバランスが取れてきたのが3年の時ということなんでしょうね。当時、久我山は東京都リーグ1部にいましたけど、そこで彼を止められる選手はいなかった。Jクラブ相手の試合でも突出した存在になっていましたし、全国高校サッカー選手権でも別格だったと思います」
──塩貝選手はFWとして何が優れているんでしょうか?
「私たちが尊敬する(メキシコ五輪得点王の)釜本邦茂さん、欧州で活躍した(元日本代表FWの)岡崎慎司さん(バサラ・マインツ監督)、(現代表FWの)上田綺世選手(フェイエノールト)のように、日本人ストライカーにはいろんなタイプがいます。そこでひとつ言えるのは、キレのある選手はパワーがなくなりがちということ。その逆もしかり、です。それが日本のFWによく見られる傾向です。けれども塩貝はパワーがあるのにキレも落ちない。ゴール前は屈強な男たちとのぶつかり合い、スペースの奪い合いですが、彼はその中に堂々と入っていってゴールを取れる。戦いに勝つための優位性を持っていると思います」
──国学院久我山は文武両道の高校ですが、塩貝選手は成績も優秀だったと聞きます。
「1学期の成績評価は4.9でたとえば明治大学に指定校推薦で入れるレベルでした。主要5教科はオール5で唯一、習字の点数が足りなくて4.9になってしまったと聞いています。ただ、久我山の場合は5.0を取っている選手が3、4人ほどいましたから、慶応の指定校推薦は別の人間ということになる。そこで塩貝はAO入試で一般受験することを選んだ。『絶対に慶応に行きたい』という強い意気込みを持って勉強し、合格を勝ち取りました」
──意志の強い選手ですね。卒業時には当時J1の鳥栖からのオファーがあったということですが。
「どこからオファーが来たのか、私自身はよく知らないのですが、何か話があれば本人と保護者に伝え、彼らに判断してもらうというのが久我山のスタンス。塩貝は最終的にはプロサッカー選手になりたいと考えていましたが、大学進学はマストという考え方だったと思います。私は外部指導者として長く久我山に関わっていますが、高校生はサッカー第一になってしまったらよくない。あくまで『勉強とサッカーの両方を頑張れ』というのが基本方針です。学生である以上、勉強が本分なのは間違いないですし、それを守った上で自分で決めてもらうことを大事にしていました」
──そういう自立心や自主性を重んじるスタンスが塩貝選手には合っていたんでしょうね。
「水に合っていたと思います。高校に来る前には挫折もあったかもしれませんけど、結果的に『すべて自分で考え、判断し、先に進んでいく』と環境の久我山で3年間を過ごせたのは、塩貝にとってよかったのかなと思います」(【後編】へつづく)
(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト、絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽塩貝健人(しおがい・けんと) 2005年3月26日生まれ、20歳。東京都出身。横浜FCのジュニアユースから国学院大久我山高。高3の全国サッカー選手権・東京都予選準決勝の帝京高戦の2ゴールで脚光を浴びた。23年にAO入試で慶応大に進学。1年で関東リーグ3部優勝の原動力となった(15ゴールで得点王)。24年1月に横浜M入りが内定。特別指定選手として同年4月にJデビュー。24年8月にオランダ1部NECナイメヘンに移籍。26年1月にドイツ1部ボルフスブルグと4年半の契約を結んだ。3月に代表初招集。「キャップ1」でW杯メンバー入りした。
▽李済華(りー・じぇふぁ) 1955年3月1日生まれ、71歳。神奈川・三浦市出身。東京朝鮮高校から朝鮮大学校。卒業して81年に同校社会科教員。87年に同校サッカー部監督。95年から國學院大久我山高サッカー部コーチ、97年から監督、15年から総監督として指導に当たって全国高校サッカー選手権と全国高校総体に出場各6回(準優勝各1回)。93年にジュニアからユース年代を対象としたFCジェファを創設。15年から19年までJ3琉球GM。
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