友人である消防隊ヘリのパイロットが漏らした苦悩「もう、病気になりそうだった」
東日本大震災から1カ月が経とうとしていた4月7日。楽天はようやく仙台に戻ることができた。
翌8日、選手は3グループに分かれて被災した学校や避難所を慰問。俺が松井稼頭央らと向かったのは宮城県名取市だった。予定では津波にのまれてしまった閖上中学校や近くの避難所、そして最後に名取市役所を表敬訪問することになっていた。
目的地に行く途中、小学校の前を通った。そこは避難所になっていて、楽天のバスだと気づいた人たちが手を振ってくれた。窓越しに手を振り返しながら思った。
バスの中から手を振るだけじゃダメだ。
俺は他の選手たちにこう言った。
「みんな、降りよう」
立ち寄る予定にはなかった避難所。同乗していた名取市職員は困惑の表情を浮かべていた。この後には名取市長との面会が控えていて、ここで立ち寄れば予定の時刻に間に合わないからだ。
「いや、ちょっと時間が……」
困る職員を見ても、譲れなかった。
「市長は待ってもらえばいいでしょう。いいから止めてください」
俺はそう言って、バスを止めてもらった。
学校の屋上から見たのは変わり果てた街並み。多くのものをなくし、想像がつかないほど大変な思いをしているのに、こちらに一生懸命手を振ってくれる。そんな人たちを素通りすることはできなかった。
俺には、震災前からの友人に、仙台の消防隊ヘリコプターのパイロットがいた。その友人が震災の後にこう言っていた。
「救助要請があってその現場に行く途中、家や建物の屋根に避難している人が手を振って助けを求めてきた。でも、救助現場に向かっている途中だから、一度そこを通り過ぎないといけない。救助が終わり、『さっき手を振っていた人たちのところへ戻ろう』と言って行くと、もう波にのまれていなくなっていた。……そんなことが何度もあってつらくて、もう、病気になりそうだった」
胸が締め付けられた。
少しでも被害を受けた人たちの力になりたい。楽天は被災地の代表として活動する一方で、被災者でもあった。
用具係のスタッフさんは宮城県にあった自宅が流されてしまった。場所が仙台空港の近くだったため、津波の被害をモロに受けたという。
「みんなでお見舞金を出そう」
俺は声を上げた。
「高給取りが出すだけじゃダメだ。
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