大沢啓二の「悪ガキ伝説」 “最後の夏”に球審をボコしたことで立大への道が開けた
負けた後、やることなし。自営業の実家で留守番していたところへある男がやってきた。あの審判員だった。大沢の述懐によると「仕返しかと身構えた」。ところが「大沢君、ぜひ立大に来てくれないか」。聞けば立大野球部の元マネジャーで菅大一といい、スカウトに来たのだ。「君の元気でおとなしい野球部に刺激を与えてくれ」と。
立大に入学してすぐの春のリーグ戦から出場。菅の狙い通りの選手だった。いい気持ちになっていると「大沢の高校は出場停止中なのに(主犯格が)リーグ戦に出場しているのはおかしい」と、明大の島岡吉郎監督からクレームがついた。各校も連盟も、「そりゃそうだ」。神宮球場から追い出され、セントポール立大校舎に行ってイエス様にひざまずく日々となった。
大沢は「オレは立教大学卒業じゃねえよ。立教大学野球部卒業だ」が口癖だった。
入学試験のとき、雪のため会場行きが遅れ、半分の学科しか受けていない。そのうえ、英語のテストでは1番の解答に2番の問題文を書き写し、地理の解答用紙には日本地図を描いた、と後年話している。


















