己の居場所を勝ち得た女性の矜持

公開日: 更新日:

「劇作家 秋元松代 荒地にひとり火を燃やす」山本健一著/岩波書店 3400円+税

 秋元松代という名前を知ったのはいつだったろう。演劇にさほど詳しくない者にも「常陸坊海尊」「かさぶた式部考」といった作品と共に、その名はどこか特別な響きをもって届いていた。

 そして、なぜか狭く暗いアパートの一室でひとり黙々と筆を走らせている姿が、彼女の名と切り離せずに浮かんでくるのである。

 朝日新聞の演劇担当記者だった山本健一の「劇作家 秋元松代――荒地にひとり火を燃やす」は、秋元の90年に及ぶ生涯を丹念に追った力作。この本には、劇作家としてデビューする以前から死の直前までの60年に及ぶ秋元の日記が多数引用され、これまで知ることのなかった秋元の内面をうかがうことができる。山本はその日記の他、残された取材記・作品覚書類を読み込み、多数の関係者へのインタビューも踏まえ、秋元の戯曲作品に沿いながら秋元松代の軌跡を描いていく。

 さて、先の「ひとり黙々」というイメージだが、曖昧ながらまんざら間違ってはいなかったようだ。というのも、秋元は日記の中で徹底して「ひとり」を貫いているからだ。《今は一人の中に静かに立ち、そこで生きる心になっている。……私は本当にたった一人だ》《私はひとりで生きたいのだ。ひとりで生きたいために、私は女としての可能性も要求も捨ててきたのだ》といった血を吐くような言葉には、幼い頃から封建的な男社会の抑圧を一身に背負い、それに真正面から抗ってきた秋元の高らかな宣言が見られる。

 晩年は蜷川幸雄演出の「近松心中物語」が高い評価を受け、多くの人に囲まれた秋元だが、死の5日前の日記にこう記す。《過去の私の足跡には過ちもあったろうし、不足の点も多かったが、一生懸命だけはやってきた。それが私なのだ》。ここには、女がひとりで生きていくことが困難な時代に、ひたすら書くことで己の居場所を勝ち得た女性の矜持がある。
<狸>

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    中学受験で慶応普通部に進んだ石坂浩二も圧倒された「幼稚舎」組の生意気さ 大学時代に石井ふく子の目にとまる

  2. 2

    横浜とのFA交渉で引っ掛かった森祇晶監督の冷淡 落合博満さんは非通知着信で「探り」を入れてきた

  3. 3

    出家否定も 新木優子「幸福の科学」カミングアウトの波紋

  4. 4

    国宝級イケメンの松村北斗は転校した堀越高校から亜細亜大に進学 仕事と学業の両立をしっかり

  5. 5

    放送100年特集ドラマ「火星の女王」(NHK)はNetflixの向こうを貼るとんでもないSFドラマ

  1. 6

    日本人選手で初めてサングラスとリストバンドを着用した、陰のファッションリーダー

  2. 7

    【京都府立鴨沂高校】という沢田研二の出身校の歩き方

  3. 8

    「核兵器保有すべき」放言の高市首相側近は何者なのか? 官房長官は火消しに躍起も辞任は不可避

  4. 9

    複雑なコードとリズムを世に広めた編曲 松任谷正隆の偉業

  5. 10

    中日からFA宣言した交渉の一部始終 2001年オフは「残留」と「移籍」で揺れる毎日を過ごした