「流転の中将」奥山景布子著
桑名藩主であり、左近衛権中将の官位も持つ松平定敬(さだあき)は、徳川慶喜の呼び出しを受け、決戦を決めたのだと思った。ところが慶喜はこう言った。「余はこれからここを脱出する」。そして定敬に随行するよう命じたのだ。
慶喜の一行は大坂城を抜け出す。船着き場で待っていたのは幕府の軍備に協力していたフランスではなく、アメリカの砲艦イロクォイ号だった。イロクォイ号のボートで開陽丸に乗り移った一行は江戸に向かう。朝廷からは「徳川慶喜追討令」が出されていた。江戸城に到着した定敬は何度も求めていた対面がようやくかなうが、慶喜は「余は武力をもって戦う気など一度もなかった」と言い放つ。
「朝敵」とされながらも徳川家に尽くした藩主を描く。
(PHP研究所 1980円)