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増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

「バガボンド」(既刊37巻)井上雄彦作

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「バガボンド」(既刊37巻)井上雄彦作

 未完の大作「バガボンド」。井上雄彦が命がけで描き続ける宮本武蔵の評伝漫画だ。原作を吉川英治の小説「宮本武蔵」とするが、実際に読むと、ストーリーも肌触りもまったく違う。インスパイアされたのは確かだろうが、これは井上雄彦独自の宮本武蔵伝だ。

 吉川英治だけでなくこれまで多くの小説家たちが武蔵の全体像をつかむことに心血を注いだが、誰も近づけなかった。井上雄彦は1998年、その未踏峰に週刊モーニングの連載で挑んだ。

 冒頭に書いたように本作は未完だ。どころかこれまでの作品が最大のヤマ場とした佐々木小次郎との巌流島決戦にすら到達していない。そして2015年に力尽きたように連載は止まってしまう。

 しかし宮本武蔵の実像に井上が極限まで近づいていることは、吉岡一門との決闘を読めばわかる。単行本でいえば26巻と27巻の2巻に及ぶ凄絶な斬り合いだ。

 1人対70人。絶望的な戦いを泥濘地で続ける宮本武蔵。斬って斬って斬りまくる。延々と続くこの殺戮に、読者は勝利を知っていてさえ、いつ武蔵が斬られて倒れるかと心臓の鼓動を速めながらページをめくる。

 息は切れ、大けがを負いながら、武蔵は刀が折れれば敵方の死体から抜き、ときに頭突きまで使って泥と血にまみれて戦い続ける。この大量殺戮に意味があるのかと自問しながらの戦いである。

 井上雄彦のペンと絵筆は容赦ない。髪を振り乱して死んでいく吉岡の門弟たちを当人の視点から描く。彼らは1人ずつしゃべりながら死ぬ。しかし武蔵はほぼ無言。ただ斬り、殺人を続ける。

 この恐ろしい殺人描写。商業作品において延々と殺人を描けたのは奇跡的なことだ。その奇跡を得たのは「SLAM DUNK」で築いた名声と実力をすべて注ぎ込んだゆえだ。ほかのあらゆるジャンルの芸術家たちが成し得なかった領域に井上雄彦だけが頬を寄せるほどまで近づくことに成功した。いまだ物語を完結せず中断に至っているのにである。つまり未完の中盤なのに既にして宮本武蔵の人生の全体像をつかんでいるのだ。

 バガボンドとは英語で放浪者や無宿者をいう。いま放浪しているのは宮本武蔵ひとりではない。井上雄彦との2人旅だ。いつか連載が再開したときには剣の天才とペンの天才のさらなる高みへの登攀が始まるだろう。

(講談社 957円)

【連載】名作マンガ 白熱講義

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