「最後の芸人の女房」髙部雨市著
「最後の芸人の女房」髙部雨市著
湯島天神男坂下に「酒席 太郎」という店がある。昭和57年、女将の浅野ゆき子が家族の生活を支えるために開いた店だが、いつしか繁盛店になった。苦労人のゆき子は「太郎」の座敷で、常連客のひとりである著者に、来し方を語り始める。
ゆき子は昭和15年、千葉県生まれ。生後間もなく養女に出されて以来、波乱の人生を送ってきた。画材屋、キャバレーなど職業を転々とするなかで講談師・一龍斎貞水に出会い、結婚。芸人の女房になった。ゆき子は姑の世話と子育てと内職で大忙し。貞水は勉強熱心だが、講談だけでは食べていけず、結婚式の司会などもしていた。けれども、家にお金を入れたことはなかった。
「でもね、本当は貧乏人じゃないのよ。あの人は外ではお金使っている。講談のために、講談師のためにね」
本牧亭の楽屋で前座時代を貞水とともに過ごした落語家、立川談志や毒蝮三太夫らが世間に知られるようになっても、講談師はやはり食えなかった。そこでゆき子は、料理も満足にできないまま、「太郎」を開店する。正直でずけずけものを言うゆき子は、ときに客を追い出したり、手伝いのおばさんとぶつかったり。それでも何とか店が回るようになっていった。
女将の一代記の間に、常連客や長く働いている従業員「イチローくん」の語りも入って、古き良き飲み屋の気配が伝わってくる。店と客の距離が今よりずっと近かった。
女房の奮闘に支えられて貞水は芸一筋、平成14年、講談界で初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。晩年、肺がんを患い、苦しい中、酸素吸入器なしで高座に上がった。最後の高座では1時間40分もしゃべって救急車で運ばれた。
「すごいと思う。貞水さんは素晴らしい、素晴らしい講談師バカなの(笑)」
そう言えるおかみさんも素晴らしい!
(河出書房新社 2420円)