近藤真彦が高校進学時に堀越ではなく明大中野に決まった背景にジャニー喜多川氏のトラウマ
■郷ひろみが独立したのは高校の空気が悪かった?
郷ひろみの独立騒動である。1974年6~9月、ジャニー社長は十二指腸潰瘍のために入院。当時、堀越に通っていた郷はジャニー社長が不在の時を狙っていたかのように独立したいと言いだしたのだ。翌春、バーニングプロダクションに移籍。郷をフォーリーブスの次のスターと考えていたジャニー社長のショックは計り知れなかった。郷が独立を考えるようになったのは堀越の空気が悪いせいだと憤った。
「まったくの言いがかりだが、理屈が通用しない人ですからね。郷の二の舞いにならないためにも、近藤を堀越に行かせるわけにはいかないと」(ベテラン記者)
そこで選ばれたのが芸能人の受け入れで実績のあった明大中野高校定時制(2003年廃止)だった。かつてジャニーズに所属していた2学年上の川崎麻世は堀越だったが、近藤を境に同事務所から明大中野へ進学するケースが一気に増えた。「困ったことに、その頃ジャニーズから来た生徒たちは簡単に中退してしまう。学校をナメていた」と明大中野関係者は振り返る。近藤の1学年下のシブがき隊は3人とも中退。1~2学年下の少年隊も3人全員が中退している。
一方、近藤はしっかり卒業。「もっとも不良っぽかった近藤が一番勤勉だった。平均睡眠時間が3時間に満たないほど忙しかったのに、途中で投げ出さない根性を持ち合わせていた」と前出の記者。事務所の未来を担うと期待されていた近藤だが、4年前に退所。残念というほかない。



















