“パーキンソン病公表”の美川憲一が見せた、低迷期を救った盟友への恩義…コンサート強行出演の背景
「コロッケ(65)はケン坊の再ブレークのきっかっけになった人だから、ジョイントディナショーは穴を空けられないんだと思うの」(前出のA氏)
「柳ヶ瀬ブルース」「釧路の夜」が大ヒットした美川は、1968年にNHK紅白歌合戦に初出場。以来、7年連続で出場し、歌手として不動の地位を築いた。だが、紅白に落選した2年後の77年に大麻取締法違反容疑で逮捕。不起訴になったものの、84年に再び同容疑で逮捕。懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受けている。事件の影響でテレビ出演が激減した美川は地方での営業に精を出し、一時、「美川けん一」に芸名を変更するが、全盛期のような活躍の機会は得られなかった。事態が好転し始めたのが、1990年のこと。
「美川はちあきなおみ(78)との金鳥『タンスのゴン』のCMに出演し、再ブレーク。当時、レパトリーが少なかったコロッケに美川が『私のマネをしたら』と勧めています。それが大ウケして、コロッケの再ブレークにもつながっています」(スポーツ紙記者)
2人を知る芸能関係者はこう続ける。


















