著者のコラム一覧
田中幾太郎ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。医療問題企業経営などにつ いて月刊誌や日刊ゲンダイに執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。 日刊ゲンダイDIGITALで連載「名門校のトリビア」を書籍化した「名門校の真実」が好評発売中。

カンニング竹山が「当時の偏差値は60前後」と色をなして反論…母校「福岡県立早良高校」の苦戦

公開日: 更新日:

 福岡県立早良高校に入学したのは開校2年目の1987年。地元の塾経営者は「最初の頃は新興校に対する期待が大きく、優秀な生徒が集まっていた」と証言する。その一人が竹山だったというわけだ。前出のディレクターは「まぎれもなく地頭はいい」と断言する。

「コメンテーターに起用された当初は勢いでまくし立てるだけで、事実の間違いも多く、恥ばかりかいていた。そこでへこたれず、ひそかに猛勉強したに違いない。凄まじい集中力で知識を吸収していった」と振り返る。

 早良高校は交通の便があまりよくないこともあって、次第に人気が低下。定員割れを起こす年もめずらしくなくなった。「偏差値60は遠い昔。母校を傷つけられて反発したい気持ちはわかるが、竹山さんはそうした状況をご存じないのだろう」と前出の塾経営者が続ける。

「学校側も相当な危機感を持っており、大学受験に注力できる環境をつくろうと特進クラスを設けるなど、巻き返しを図っている。かつての人気が戻る兆しもある」

 竹山が芸人を志すようになったのは高校在学中だ。憧れたのは関西芸人ではなく、ビートたけしとんねるず。彼らが活躍する東京に行きたい一心で関東の大学だけ受験した。どこでもかまわないから、上京して芸人になるための足がかりをつくるつもりだったが、結果は全滅。浪人生活に入った。そんな時に福岡吉本が発足。第1期生となった。

博多華丸・大吉らが同期にいたが、もっとも嘱望されていたのは竹山だった」と地元紙記者。だが、東京への夢をあきらめきれず、1年後に福岡吉本を辞め上京。芸人として花開くのはまだ、だいぶ先の話である。

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