(44)家主がいなくなった実家は想像以上の速さで終末へと向かっていった
この時、父が急死して半年あまり。初盆だった。だからといって何もする予定はない。納骨堂に行って手を合わせても、父は「墓なんてじめじめしてて嫌いだ」と言っていた人だったから、そこにいるとも仏になったとも思えなかった。
空き家というものは、想像以上に速く終末へと向かう。空気の動かない家は、時間の流れまでも滞っているようだった。父母が暮らしていたときには感じなかった不穏な気配が、いまは家全体を包んでいる。かつてぬくもりのあった空間が、ゆっくりと朽ちてゆく。これが現実なのだと知った。
東京に戻ると、当たり前のように日常の時間が流れている。それなのに「あ、あれを買わなきゃ」と思い浮かべる場所が実家の近所のイオンだったりする。生活の軸が、東京と熊本というふたつの場所のあいだで揺れて、私自身の心のありようもどんどんあやふやになっていった。 (つづく)
▽如月サラ エッセイスト。東京で猫5匹と暮らす。認知症の熊本の母親を遠距離介護中。著書に父親の孤独死の顛末をつづった「父がひとりで死んでいた」。