大岡越前は41歳の若さで南町奉行に就任 徳川吉宗の片腕に
先日、俳優の加藤剛さんが亡くなりました。加藤さんといえば、思い出すのがテレビ時代劇「大岡越前」。まさにはまり役でした。
大岡越前こと、大岡忠相は8代将軍・徳川吉宗に登用されて出世したことで有名です。生まれは延宝5(1677)年。旗本・大岡美濃守忠高の四男として生まれました。
赤穂浪士が吉良邸に討ち入った元禄15(1702)年、御書院番士からスタート。御徒頭、御使番、御目付役と進み、正徳元(1711)年、35歳にして評定所出仕となります。
翌年には伊勢の山田奉行に任ぜられました。山田領は境界を接していた紀州藩松坂との間で長年にわたる争いがあり、これまでの山田奉行は紀州藩の威光を恐れ、山田領民側に理があるにもかかわらず、事なかれ主義に陥っていました。ところが忠相は公明正大に裁き、非は非として正しました。