敵は鎌倉幕府、足利尊氏“天皇親政”のために闘った後醍醐帝
日本の政治は、大化の改新(645年)以来、いつしか象徴としての天皇と、実権を握る帝の代行者による、二重構造の支配体制になってしまいました。天皇も国政に責任を負わされないことで、これを良しとした側面があります。
ところが、ときに天皇自身が政治を行いたい、と言い出すことがありました。
たとえば、後醍醐天皇(第96代)――。「太平記」では「当今(いまの天皇)御謀叛」という言葉が使われています。
後醍醐帝は正応元(1288)年の生まれ。
彼の時代、天皇家は持明院統と大覚寺統の2派に分かれ、10年を基準として、皇位を継承するという「両統迭立」が行われていました。鎌倉幕府が国政を司っていましたから、いわば天皇は飾りでよかったのです。
■「両統迭立」