日本発祥の「冷やし中華」はいつから始まった? 「元祖」を名乗る2軒をめぐる
肌寒い初夏が続くが、ようやく「冷やし中華 はじめました」ののぼりも見かける季節になってきた。しかしこの「冷やし中華」って一体、いつから始まったのか。諸説あるが、「元祖」を名乗る店が2軒ある。コロナ自粛もほぼ解禁。街歩きがてら、旅行がてらにぶらりと食べに行くのはいかがか。
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元祖・冷やし中華の店は世界最大の“本の街”東京・神保町にあった。すずらん通り入り口の京劇のお面の看板が目印になっている揚子江菜館だ。1906(明治39)年創業の老舗。清朝末期の中国では、洋務運動といって欧米の近代技術を導入するために世界中に中国人を派遣していた。
明治の改革に成功した日本にも中国の若者が送られ、東京大学など大学や専門学校が多かった西神田エリアに自然に集まった。故郷の味を食べたい彼らのために中国料理店もできた。作家の故・池波正太郎や評論家の佐高信も愛好する揚子江菜館もその一つ。入り口にも「元祖冷やし中華」の看板が目に入る。
冷たい「日本そば」がヒント
メニューにある五色涼拌麺(税込み1540円)は五目冷やし中華のこと。これは2代目店主の周子儀さんが1933(昭和8)年に始めたと、4代目店主の沈松偉さんは話す──。
周さんは暑い夏に淡路町の「神田まつや」で好物のざるそばを食べていた。中華料理は温かいものばかりだが、日本人は涼しげにざるそばを食べていた。店でも中華料理のまぜそばは食べていたが、涼しげなそばを作ることを思いついた。
2年で200回以上の試作を繰り返し、甘めのツユのレシピが完成した。当時はまかないで中華ドンブリに氷を入れて食べていたが、盛り付けに苦労した。あるとき店の3階から富士山が見えた。それで富士山をイメージした盛り付けを思いついた。
麺の上にのせる具材にも工夫
中国で完全を表す「十全十美」の考え方で具材は10種類にして豪華さを徹底的に求めた。山状にしたストレート麺に「富士山の四季」を彩った。春は土色の皮の焼き豚、夏はキュウリ、秋は煮た筍、冬は雪として糸寒天。エビ、ハム、きぬさや、シイタケを添えた。麺の上には鶏つくねをのせ、雲を表す錦糸卵で隠した。
「食べるときに混ぜると鶏つくねという宝が転がってくるのが面白いから、と。錦糸卵を外した時期もあります。具材の色、長さ、太さは工夫しました。昔は冷蔵庫もなくて冷やせないため冷やし中華という言葉もありません。胡麻だれはべとべとするから涼しげではないので、たれは甘酢だけ。甘酢だれだから広まったと思います。涼しさを感じてもらうために、お客さんにお出しするときはキュウリを正面に見えるようにしています」(沈さん)
五目涼拌麺はすぐに話題を呼び看板メニューになった。戦後、景気が良くなると全国から料理人が勉強にも来た。そうして地元に“冷やし中華”は持ち帰られていった。
■揚子江菜館
東京都千代田区神田神保町1-11-3
℡03・3291・0218
仙台の“元祖”は「龍亭」
宮城県の仙台と言えば「牛タン」「笹かまぼこ」「ずんだ(餅)」の名が挙がるが、「冷やし中華」も元祖として名物。発祥は仙台駅から北に800メートルほど行くと見つかる龍亭だ。創業1931(昭和6)年。「元祖冷やし中華」のポスターも見つかる。
ランチ時を過ぎた店内。机の上のメニューを開くとお目当ての「涼拌麺」が目に入る。ほかの料理もおいしそうで浮気しそうになる。「涼拌麺」の胡麻だれもあるが、王道の醤油だれ(税込み1375円)を頼む。
すぐに具材が別盛りで提供される。細切りクラゲ、蒸し鶏、ハム、キュウリ、チャーシュー、卵などまるでおつまみだ。ビールでも飲みたいところだ。ほどなくして麺が卓上に。さっぱりとした醤油だれ。自分の好みで適当に具材を混ぜて食べていく。
しかしなぜ、仙台に「元祖冷やし中華」があるのか。龍亭の四倉友香理さんに話をうかがった。友香理さんは現在は4代目が店主を務める龍亭の創業者(初代)、四倉義雄さんの孫。義雄さんが涼拌麺を開発した人物だ。友香理さんは経緯を教えてくれた。
夏向けの新メニューを開発、改良を続けて現在の形へ
「涼拌麺が開発されたのは昭和12年ごろでしょうかね。当時、中華料理店は温かいラーメンとかアツいイメージがあって、夏場は売り上げが落ちていました。そこで仙台支那料理同業組合で夏向けの料理を作ろうと市内の店主が集まって盛り上がったそうです。組合長もやっていた初代のおじいさんが新しい料理を開発することになったそうです」(友香理さん)
当時は冷房もない。さらに中華料理は脂っこい。組合には市内の店が30から50ほど加盟していたそうだ。新メニュー開発は喫緊の課題だっただろう。料理の開発は営業終了後の夜中に取り組んだ。試作品を作ってはお客さんに味見してもらい、涼拌麺の原型が完成。その後も改良を続けて現在の形へと至る。
「涼拌は中国で涼しげに和える食べ物のことです。日本にはざるそば文化もありましたので、そこで具材と混ぜる冷たい麺を作ったんです。食欲増進のためにたれに酢を入れたり、栄養のためにトマトを入れたり、当初は消化にもいいからと茹でたキャベツをのせたりしていました」(友香理さん)
「涼拌麺」から「冷やし中華」へ
最初の名前は「夏の風物詩・涼拌麺」。市内最大の丸光デパート(1991年に閉店)に入る店舗では、当時中華そばが10銭で涼拌麺は25銭だったが、ハイカラな食べ物だと行列もでき、飛ぶように売れた。組合でも“ちんどん屋”を呼び、涼拌麺の宣伝をして広めた。ただ市内のほかの中華料理店はそれぞれ独自の涼拌麺を作っていったそうだ。
「初代は組合のみなさんで味を統一する必要はないとも言ってました。なので麺だれも店によって違います。祖母にも『具材はなんでもいい』と言っていましたね。最初は細切りではなくて、ゆで卵を半分に切ってのせたりしていましたが、たれと絡みやすくするために次第に細切りになっていきました。富士山盛りも戦後のスタイルです。ご家庭でも冷やし中華は進化してきましたし、カニやエビとか、お好きな具材をのせればいいと思います」(友香理さん)
今は1店舗になったが、かつては仙台に何店舗も構えていた龍亭。そこから全国に巣立っていった料理人が冷やし中華を広めたとも考えられるという。そして名前は「中華そば」からの「冷やし中華そば」、そこから略され戦後に「冷やし中華」になったと友香理さんは考えている。
偶然にも戦前に各地で生まれた「冷やし中華」。以前はテレビ番組などで「元祖対決」などの番組も作られたそうだが、そんなことはどっちでもいい。元祖を知ると、これから冷やし中華の食べ方や作り方もちょっと違ってくる気がする。
■龍亭
宮城県仙台市青葉区錦町1-2-10 キクタビル
℡022・221・6377
「冷やし中華」の呼び名はどの地域まで?
関東以北では当たり前の「冷やし中華」。静岡県浜松市や愛知県名古屋市の住民に聞いても、冷たい醤油味のまぜそばは冷やし中華だが、京都市内になると冷やし中華は消えて「冷麺(めん)」になっていた。
もちろん、朝鮮半島の冷麺とは違うあの「冷やし中華」のこと。一体どこまでの地域が「冷やし中華」なのか。読者のみなさん教えてくださ~い!