上杉謙信(1)「義を重んじる武将」は本当だったのか
ところがそのころ、関東では北条氏が勢力を拡大し、関東管領・上杉憲政は越後へ逃れてきました。一方、信濃では武田晴信(信玄)が北信濃へ進出し、村上義清や小笠原長時らも景虎に救援を求めます。
ここで景虎は、武田と北条という二大勢力を同時に相手にする道を選びました。本来なら二正面作戦は避けるべきです。では、なぜ武田と戦ったのでしょうか。
その理由は地理にあります。景虎の本拠・春日山城は北信濃に近く、善光寺平を武田に完全に支配されれば、越後は直接脅かされます。しかも春日山城は、日本海交易の拠点である直江津を守るための城でもありました。越後は青苧などを直江津から各地へ送り、大きな利益を得ていました。武田が海への出口を求めれば、最終目標は直江津になる可能性が高い。したがって、北信濃で武田を食い止めることは、越後を守るために不可欠だったのです。
では、関東への遠征はどう考えればよいのでしょうか。その理由こそが、私は謙信を理解する最大の鍵だと思っています。


















