ハイエナたちにしゃぶられた…“今太閤”羽柴秀吉さんの悲劇
【読み切りドキュメント】美術商の事件簿
駅に降り立ったとき、好きな石川さゆりの歌を思わず口ずさんでいた。だが、改札から外に出ても、青森駅は雪の中ではなかった。その年は東北も暖冬で、初春ということもあって、雪は残っていなかった。
目的地の五所川原市まではレンタカーだ。青森駅からは1時間程度らしい。
「染谷さん、これが簡単な資料です」
後部座席の隣に座る今野ディレクターがクリアファイルを手渡してきた。東京からの電車の中、私が朝食の駅弁を食べるや寝込んでしまったので、打ち合わせは車の中になったのだ。
(羽柴 秀吉)
また、すごい名前をつけたもんだ。もちろん、テレビなどで名前と顔くらいは知っていたが、会うのは初めてだ。そう、羽柴秀吉に会いに、テレビ局の取材チームに同行して私は五所川原市に向かっているのだ。
■青函トンネルで財を成し自宅にお城や国会議事堂
「本名は三上誠三さんといって、1949年、えーと昭和24年生まれですね。中学を卒業してから出稼ぎで金を貯め、21歳でダンプカーを買って始めたのが運送会社。これが当時の青函トンネル建設にぶつかり、ドカーンと儲かったようです。このころに近くの寺の住職から、おまえは羽柴秀吉の生まれ変わりだといわれ、本人は秀吉を名乗っているそうです。27歳の時には青森県の長者番付に名前が載り、その後、建設業や旅館業に手を広げ、今や総資産は200億円とも300億円ともいわれています」
「300億円!?」
運転手を買ってでたカメラマンが大声をあげたが、今野ディレクターは説明を続けた。
「まあ、それでもって、金を湯水のごとくというか、自宅にお城や国会議事堂を建てたり、あっちこっちの選挙に出ているわけですね」「ほらほら、染谷さん、あれが歌手の吉幾三の自宅です。すごい家でしょう。このあたりは有名人の宝庫だな」
そうこうしているうちに、目の前にお城が見えてきた。目的地到着だ。
小田原城を模した自宅で出迎えてくれた羽柴秀吉は、テレビで見た通り、豪快な顔つきだった。
その日の私の役割は、彼が所蔵するお宝を鑑定することだった。東京のテレビ局が全国各地の有名人の自宅を拝見し、秘蔵品を鑑定する。その鑑定役として声をかけられたのだ。
自宅といっても敷地は果てしなく広い。私たちはトラクターに乗せられて移動した。カメラマンは、実物の3分の1ほどの国会議事堂やお城を丹念に撮影していたが、私が思わず噴き出してしまったのは、巨大なミサイルの模型だった。秀吉さんは、「核を撃ち込まれたときに迎撃するパトリオットミサイルだ」と説明したが、よく見ればベニアにペンキを塗った張りぼてだ。しかしアメリカの偵察衛星にキャッチされ、「日本の田舎でこっそりミサイル基地をつくっている。テロリストか!」という情報が日本政府に伝わり、自衛隊が駆けつけ怒られる騒ぎになったらしい。それで爆笑となったのだが、ともあれ、この張りぼてを見て、私は嫌な予感がしていた。