瀕死状態の注文紳士服をV字回復させた4代目の着眼点<後>

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佐田展隆さん(オーダースーツSADA社長)後編

 父親が経営する赤字企業「佐田」に途中入社。わずか半年後に営業損益をトントンにし、さらに翌年には1億円の黒字を達成。V字回復の成果をひっさげ社長に就任したが、その黒字が思わぬ逆風を生むことに――。波瀾万丈はまだまだ続く。

「黒字になったことがたちまち業界中に知れ渡り、それまで支払いを待ってくれていた取引関係の会社などが一斉に“いますぐ払え、払えないなら取引をやめるぞ”と言ってくるようになったのです」

 しかし、経常黒字になったところで、利子の支払いなどをすれば手元に残るキャッシュはわずか。借金の元金は1円も減らない。黒字を達成した先にあったのは、変わらないどころか、もっと過酷な現実だった。

 そこで頼ったのが、当時小泉内閣が推進していた金融再生プログラム、いわゆる「竹中プラン」。金融機関に債権放棄させることで優良な中小企業の経営を支援するというものだ。

「まさにうちのような会社のためにあるプランだと思いました」

 すぐさま取引先の金融機関と相談し、再生支援を受けることに。しかし、審査段階で社会保険料、税金、仕入れ、社員の退職金の未払いなどの簿外債務が次々と発覚。当初見込みの50~60%の債権放棄では済まず、85%以上は必要となった。しかも未払い金解消のためには新たに3億円程度の資金が必要。そうなれば、佐田家がオーナーの座に居座り続けることは難しい。

「父は『会社が残って従業員と取引先が守られるなら』と自己破産して会長職を退任。私はしばらく社長にとどまりました。でも、再建のために入ったファンドからクビを宣告されてしまったのです」

父親は破産し一度は会社を追われたが…

 その後は、大学の先輩の紹介で就職したIT企業で上場準備の仕事をしたり、経営コンサルティング会社でクライアント企業の中間管理職の教育指導を行ったりして、再びサラリーマン生活に逆戻り。しかし、それらの会社は、社員を使い捨てにするような社風や、しょせんアドバイス役でしかない物足りなさから相次いで退職。再び転職活動を始めたとき、意外な人物から電話が入った。

「私の後に社長に就いていた前営業本部長でした。再び経営難に陥ってしまったので『戻ってきて欲しい』というのです」

 聞けば展隆さんが去った後にリーマン・ショックが起こり、再建役の投資ファンドは解散。小売流通大手企業の100%子会社になっていたが、経営不振と東日本大震災による宮城工場の被災などで見切りをつけられ、にっちもさっちもいかない状態だった。

「さすがに2度目は慎重になりました。調べれば調べるほど佐田へ戻るのは火中の栗を拾うようなものだと思えました。大学の先輩たちにも財務資料を見せて相談したところ、異口同音に『やめておけ』と。父にも反対されました」

 しかし、またしても電話が。今度は、昔の部下からだった。それも1人ではない。直販店の店長、店舗マネジャー、卸担当のベテラン営業社員などなど。それぞれ噂を聞きつけ、「いよいよですね!」「この日が来ると信じていました」「大政奉還ですね」などと、電話の向こうでいまにも泣き出さんばかり。展隆さんはそれをうれしく思い、「これを断ったら男がすたる」と思った。妻は猛反対したが、亡き祖父の〈迷ったら茨の道を行け〉という言葉に突き動かされ、再び戻ることを決意する。

 2011年6月、経営企画室長の肩書で再入社した展隆さんは、さっそく経営改革に着手。売り上げのほとんどを占めていた大手百貨店や総合スーパーのOEMは、着数こそ多いが、利益が少なく赤字もしくはトントン。テーラーも経営者の高齢化などで新規開拓は難しかった。この難局を乗り切るには本格的に小売りに乗り出すしかない。これまでもネットを中心に行っていたが、あくまでも卸先の開拓のためだった。

■迷ったら茨の道を行け

「そこで、既製紳士服のお客さまを奪おうと考えました。うちは工場直販やITなどによる効率化、海外縫製日本一の規模などから価格でも勝負できます。一度オーダースーツの着心地を味わってもらえれば、絶対に勝てるという自信がありました」 

 そして、この自信がマジックのごとく花開く。勝負をかけた新宿店のオープンが大成功。最初の注文なら全ての生地が5000円引き、実質1着1万9800円からオーダーできる安さが話題となり、その後はトントン拍子で全国に53店舗を展開するまでに急拡大した。この店舗数は、工場直販オーダースーツ業界では日本一だ。

 佐田社長は13年からは知名度アップのために、自社スーツを着て富士山に登ったり、スキージャンプをしたり、山スキーをしたりといったチャレンジを年に1回ほど行い、マスコミやネットで話題となっている。

 2度にわたる試練を自ら引き受けた佐田社長。前記した祖父の「茨の道」と同じく、座右の銘とする言葉がある。

「面白きこともなき世を面白く――高杉晋作の言葉です。自分の気持ちひとつでつらいことでも面白く感じることができる。だったら面白くしてやろうじゃないかと。実はこの言葉が記された本を“読んでみろ”と薦めてくれたのは父なんです……」

 祖父と父の思いを背負い、きょうも4代目社長は茨の道を面白がりつつ突き進む。

(聞き手=いからしひろき)

▽さだ・のぶたか 1974年、東京都杉並区出身。一橋大学経済学部卒業後、東レに入社。2003年に父に請われ㈱佐田に入社。赤字企業をわずか1年半で黒字にV字回復させ、2005年に社長に就任。2008年に退社するが、3年後再々生のため再び会社に呼び戻される。現在、会社は本格オーダースーツチェーン店舗数日本一に成長。自社スーツを着てスキージャンプをしたり富士山に登ったりというPR活動も話題。

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