「二面性」を失った日本の暴力団の歴史はほぼ終わった
日本の暴力団の歴史はほぼ終わったとみられる。なぜそう言えるのか。
ひとつに社会的影響力の喪失である。分裂した山口組の一方が相手幹部のタマを取ろうと取るまいと、この世の大勢はピクリとも動かない。組員数も激減し、全暴力団の構成員数は準構成員を含めて3万人を切り、最盛期1968年の6分の1以下へと縮小した。
労働組合の組織化率も目を覆う惨状だが、暴力団は労組以上の落ち込みで、総人数2万人とされる芸能人とおっつかっつになった。
暴力団は今「反社会的勢力」に数えられるが、もともとは「半社会的存在」だった。つまり、半分は社会から否定されながら、もう半分は行政や社会から認められていた。これのいい例が「二足のわらじ」だろう。
博徒の親分がバクチの開帳でお目こぼしをいただく一方、十手を預かった。お上は「蛇の道はヘビ」とばかり、ヤクザの方が与力や同心より犯罪情報を早く正確に掴むと承知し、犯罪捜査や街の治安維持に活用した。
こうした暴力団の持つ二面性は、遊ぶカネさえあれば、今でも辛うじて保持されている。たとえば盛り場での外国人犯罪グループや半グレ集団の動向把握、その駆逐などである。