「IR」と「カジノ」はどこが違うのか? IRは「カジノ賭博」を粉飾しているだけ
立憲の菅元首相が維新の馬場共同代表に、維新の公約である「カジノ」について質問に行ったら、「『カジノ』と言わずに『IR』と言え」と言われたとのことである。
私も、一昨年、横浜でカジノ反対運動に参加した際に、カジノ賛成派から同じことを言われた体験がある。でも、それは論点そらしのいわば「言い掛かり」である。
IR(Integrated Resort:統合リゾート)施設とは、その整備法によれば、国際会議場、研修施設、国際展示場、公演施設、ホテル、運送サービス、観光促進施設(例えばレストラン街、ショッピング街など)に「カジノ賭博場」を加えたものである。
私の住む横浜では、上記諸施設のうち、「カジノ」以外は全てみなとみらい地区にすでに揃っている。「IR」とはそれらに新しく「カジノ」を加えるだけの話である。しかし、カジノを加える意味は極めて重大である。横浜で行われた入札希望業者による説明会に出席して、その意味がよく分かった。
要するに、よくある会議場、ホテル、劇場、ショッピング街、レストラン街の集合体ではほとんどが赤字に陥ってしまう。そこに本来は犯罪であるカジノ「賭博」を例外的に合法化して加えると、全体のわずか3%の面積に過ぎないカジノの収益で他の施設も経済的に存続できるという仕組みである。
つまり、本来的に何の価値も生まないカジノで、人間の心に潜む射幸性(つまり、努力せず一獲千金を望む堕落性)に訴えて人々の財産を巻き上げた金で街全体を潤わせる……という、不健全な発想である。
だから、「IR」などと訳の分からない単語でごまかさずに、正直に「カジノ賭博導入」の是非を問うべきである。
そして、人々が自分か先祖の労働で獲得した資産をカジノ賭博で奪った収益で街と自治体が潤う……などという「経済政策」がそもそも「政策」と呼ぶに値しないと、今、批判されているのである。
経済とは、まともな発想と誠実な努力から新しい財や価値を生み出す活動のはずである。私たちは、かつての勤勉なものづくり大国であった日本を思い出すべき時にいるのだろう。
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