1999年桶川ストーカー殺人事件 冤罪を訴え続ける“首謀者”「再審請求がダメなら一生獄中です」
1999年10月26日、女子大生の猪野詩織さん(当時21)が桶川駅前で元交際相手の配下の男に刺殺された「桶川ストーカー殺人事件」。元交際相手の男の兄で、事件の“首謀者”として最高裁で無期懲役が確定した小松武史受刑者は人知れず冤罪を訴え、再審請求中だ。
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「所内では職員のコロナ感染を伝える放送が流れ、モノの値上げもすごく、まいっています」
千葉刑務所に服役中の小松武史受刑者から最近届いた手紙には、そんなぼやきがつづられていた。彼とは10年ほど文通してきたが、近年は弱気な言葉が増えた印象だ。
23年前、世間を騒がせた桶川ストーカー殺人事件。弟の和人(当時27)と共に池袋などで複数の風俗店を営んでいた武史受刑者は、配下の風俗店長らに詩織さんの殺害を依頼し、実行させた容疑で逮捕された。
一方、詩織さんの元交際相手で、ストーカー化していたとされる弟は、指名手配中に自死し、事件の全容解明は困難になった。それでも裁判では、無罪主張が退けられた兄が事件の「首謀者」と認定され、06年に無期懲役刑が確定。事件は一応、落着した。
私が武史受刑者と文通するようになったのは、12年の春、冤罪専門誌「冤罪File」の編集部に冤罪を訴える本人の手紙が届いたことからだ。私は同誌編集部から彼への対応をゆだねられたのだ。
「何でも聞いてください。どんなことにも答えます」
文通を始めた当初、武史受刑者は手紙にそう書いてきた。報道ではコワモテの印象だが、手紙の行間からは、無罪の訴えに耳を傾けてもらえたことを喜ぶ様子が伝わってきた。
■ストーカーの弟を毛嫌いしていた兄
意外だったのは、彼が手紙で弟を再三批判することだ。
「和人は複数の有名暴力団の幹部を使い、兄の私にもいろいろな脅しをかけてきていました」
「私が風俗店の経営に携わったのも、和人にだまされたり脅されたりしたからです」
「被害者の方以前に交際した女性に対しても、和人は凄まじい嫌がらせをしていました」
私は、こうした話をうのみにできないと思う一方で、武史受刑者の冤罪主張をむげに否定できないと思うようになった。
裁判では、武史受刑者は、詩織さんにふられて逆恨みした和人のために、風俗店長に詩織さんの殺害を依頼したように認定されていた。しかし実際には、武史受刑者は和人を毛嫌いしており、刑務所に入るリスクを冒してまで和人のために殺人を犯す人物だとは思えなくなったのだ。