(5)「百里の道は九十九里をもって半ばとすべし」受け皿を作ってチャンスを待つ
高市内閣では来年の自民党総裁選まで持たない
──進捗状況は何合目?
かなり進んできている。でも、僕は徳川家康をあまり好きではないけれど、家康が説いたとされる「百里の道は九十九里をもって半ばとすべし」は言い得て妙だ。九十九里まで進んだと思ったけれど、残る一里が難しい。最後の最後の詰めが、何事も難しい。
既存の政党の中でやろうとしたら、それこそ与野党の有志が、「今の保守政治は、本来の姿から外れている」として、ガラガラポンみたいな形で動くべきなんだ。
腐敗もひどいし、高市総理に代表される政治姿勢は、あまりにも軽薄で極端だ。こういう政治が戦前の昭和史の悲劇を招いたことを、国民は思い起こさなければならない。300万人以上の国民の命を犠牲にした愚行を、国民は繰り返してはならない。
中身のない右翼というかナショナリズムというか。ただの煽りだ。昭和の行政・軍閥官僚が、自分たちには何もないのに天皇陛下の名を借りて国民を煽って、勝ち目のない戦争へ突入した。高市内閣には、それと似たような体質と傾向がある。国民は肝に銘じるべきだ。
新しい政党のリーダーは、国民の中から在野から立ち上がってくれる形が一番いいが、それはなかなか難しいだろう。だから、そういう人たちがいつでも飛び込んでこられるような受け皿をつくってチャンスを待つしかない。
下り坂の高市内閣では来年の自民党総裁選まで持たないと思う。必ず「さあ、どうしよう」という機会が来る。自民党も野党も、いや応なしに考えなければならない時が来る。
(取材・構成=小塚かおる/日刊ゲンダイ)



















