著者のコラム一覧
岡田彰布野球評論家

57年大阪生まれ。北陽高(現関西大学北陽高)から早大へ進み、78年秋三冠王で優勝に貢献、79年春連覇。同年ドラフト1位で阪神入団。85年日本一。94年オリックス移籍、95年現役引退。オリックス二軍助監督兼打撃コーチ、阪神二軍監督を歴任。03年一軍内野守備コーチでリーグ優勝。04年一軍監督就任、05年リーグ優勝。08年退任。10年オリックス監督就任、12年退任。

<第3回>引退試合前の村山さんの肩慣らしの相手したんは俺よ

公開日: 更新日:

 ザトペック投法で昭和37、39年の優勝に貢献した村山(実)さん。37年の投球回数を見ると57試合で366と3分の1イニングも投げている。今では信じられんわな。39年に優勝した時は、親父が心斎橋の中国料理店で祝勝会の2次会をやった。後に村山派とか吉田(義男)派なんて言われていた選手たちも、みんなワイワイやってたな。オレは末席にいたから覚えている。

 村山さんは昭和48年3月21日に引退試合をやったけど、その数日前に肩慣らしの相手したんは俺よ。この年の村山さんは、もう試合には出ていなかった。肩もなまっていたはずや。村山さんは日本で初めてSSKというスポーツメーカーとアドバイザー契約を結んだ選手だった。このメーカーの社長さんは親父とも知り合いで、そんな関係から俺は3日間ぐらい村山さんとキャッチボールをやった。場所はSSK本社ビルの屋上だった。

 2日目だったかな。

「傾斜のあるところで投げたい」って村山さんがいうから、天王寺にある真田山公園に連れて行った。そこには、俺が通っていた明星中学の野球部が練習していた球場があったからだ。中学の使用球は準硬式やったし、村山さんのキャッチボールの相手ぐらいはできた。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    俺が監督になったら茶髪とヒゲを「禁止」したい根拠…立浪和義のやり方には思うところもある

  2. 2

    激太り危機は今や昔…浜崎あゆみ「激ヤセ説」も「連日ケーキ2個」の健啖ぶり

  3. 3

    オレが立浪和義にコンプレックスを抱いた深層…現役時代は一度も食事したことがなかった

  4. 4

    小芝風花&森川葵はナゼ外れた? 来秋朝ドラ「ばけばけ」ヒロインを髙石あかりが射止めた舞台裏

  5. 5

    「備蓄米ブーム」が完全終了…“進次郎効果”も消滅で、店頭では大量の在庫のお寒い現状

  1. 6

    巨人エース戸郷翔征の不振を招いた“真犯人”の実名…評論家のOB元投手コーチがバッサリ

  2. 7

    カブス鈴木誠也に「打点王」がグッと近づく吉報 “目の上のタンコブ”スアレスにア・リーグへのトレード情報

  3. 8

    立浪和義の「白米禁止令」は星野仙一イズムの継承だろう…かつては自身も大目玉を食らっていた

  4. 9

    参政党の公党にあるまじき「メディア排除」気質…会見場から神奈川新聞の批判記者を締め出し

  5. 10

    さや氏「略奪婚は人の道に反する」と否定もネットでは“今井絵理子枠”確定の皮肉…胸元露わな妖艶スタイルも