著者のコラム一覧
権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

川上哲治さん生誕100年 ハッとさせられた名将の言葉

公開日: 更新日:

 2013年に亡くなられた川上哲治さんがご存命なら、今年3月23日で100歳を迎えられるはずだった。4月8日に熊本で開催予定だった「生誕100年記念」の巨人中日戦をはじめ、その偉業を振り返るさまざまなイベントはこのコロナ禍で延期を余儀なくされた。そこで今回は、川上さんとの思い出を書きたい。

 私がプロの世界に飛び込んだ1961年は、くしくも川上さんの巨人監督1年目だった。実は前年の夏のこと、社会人のブリヂストンタイヤに所属していた私に巨人から声がかかっていた。日鉄二瀬の補強選手として出場した都市対抗で好投が目に留まったのか、当時の球団社長とスカウト、そして水原茂監督と会う予定になっていたのだが、直前に水原監督の退任と川上ヘッドコーチの監督就任が決まり、水原さんとの対面はかなわなかった。

 巨人からは「どの球団よりも高い契約金を出す」と過分な評価をいただいたものの、先に条件提示を受けた中日にお世話になることに決めた。天下の水原さんと対面して直接、「力を貸してくれ。君、頼むよ」と口説かれていたら、二つ返事でOKしていたと思う。巡り合わせの妙だが、縁がなかったのだろう。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高画質は必要ない? 民放各社が撤退検討と報じられた「BS4K」はなぜ失敗したのですか?

  2. 2

    「二股不倫」永野芽郁の“第3の男”か? 坂口健太郎の業界評…さらに「別の男」が出てくる可能性は

  3. 3

    気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った 

  4. 4

    U18日本代表がパナマ撃破で決勝進出!やっぱり横浜高はスゴかった

  5. 5

    坂口健太郎に永野芽郁との「過去の交際」発覚…“好感度俳優”イメージダウン避けられず

  1. 6

    大手家電量販店の創業家がトップに君臨する功罪…ビック、ノジマに続きヨドバシも下請法違反

  2. 7

    板野友美からますます遠ざかる“野球選手の良妻”イメージ…豪華自宅とセレブ妻ぶり猛烈アピール

  3. 8

    日本ハム・レイエスはどれだけ打っても「メジャー復帰絶望」のワケ

  4. 9

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  5. 10

    自民党総裁選の“本命”小泉進次郎氏に「不出馬説」が流れた背景