著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

“最強チーム”で挑んだアトランタ五輪 西野監督と山本コーチのコンビも最強だった

公開日: 更新日:

サッカー日本五輪代表物語 #4

8年前のロサンゼルスに続き、アメリカ大陸での開催となった1996年のアトランタ五輪。

 日本は最強チームでアジア予選に挑んだ。なぜ<最強チーム>と言われたか。日本はプロ選手で挑んだからである。

 1993年にサッカーファンの悲願でもあったプロリーグ・Jリーグがスタートした。選手はもちろんのこと日本人監督もプロになった。

 1992年に初めて日本代表の外国人監督になったオランダ人のハンス・オフト(1947年6月生まれ。オランダ出身。1980年代にJSL2部のヤマハ=現磐田、マツダ=現広島)のコーチ。日本代表後は磐田、京都、浦和の監督を歴任)は、W杯出場あと一歩のところまでチームを導いた。

 しかし、1993年10月に「ドーハの悲劇」によって夢は断たれた。

 オフトの後を継いだブラジルン人のロベルト・ファルカン(1953年10月生まれ。ブラジル出身。1982、1986年W杯に出場。1990年にブラジル代表監督に就任)は、わずか1年の短命に終わったが、日本代表を取り巻く環境にある変化があった。川淵三郎(現JFA相談役。東京五輪選手村・村長)がJFAの強化委員長を退任。後進を早稲田大の後輩でもある加藤久(1956年4月生まれ。宮城県出身。仙台二高から早稲田大。在学中に日本代表選出。読売クラブ、V川崎、清水でプレー。V川崎、湘南で監督を歴任した。現J京都・強化育成本部長)に譲った。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    八王子実践・河本ロバート監督「ライブや家族旅行も、事前に相談があれば休ませます」

  2. 2

    萩本欽一〈34〉私の“運”論 大谷翔平のカネを使い込んだ通訳に「小さな声で『ありがとう』」

  3. 3

    中居正広氏が熊本地震被災地を支援と報道 引退後も変わらないチャリティー精神と芸能界復帰の可能性

  4. 4

    高橋成美「渋幕→慶応」だけでは読み解けないズバ抜けた回転の速さ 世界選手権ペアで日本人初の銅メダル

  5. 5

    東京・赤羽、先行する第1地区に110メートル級、せんべろの1番街が丸ごと潰される危機

  1. 6

    バナナマン日村が簡単に復帰できそうにない「もう1つの理由」…レギュラー11本抱える人気者のジレンマ

  2. 7

    国害SNSを告発 森山裕・自民党前幹事長「高市おろし」キーマンに急浮上の裏…不快感に国境なし

  3. 8

    年金生活者を悩ませる墓問題 維持費も「墓じまい」の費用も払えない人はどうすればいいのか?

  4. 9

    「墓じまい」に悩むシニア 費用や遺骨の始末より問題になる「家族の愛憎問題」

  5. 10

    松本若菜「ジュラシック・ワールド」吹き替え《棒読み》論争再燃…暗雲漂う主演ドラマに新たな逆風