長嶋茂雄さんは僕のお門違いも甚だしい“直談判”にも耳を傾けてくれた「お前の言い分は分かったが…」
右ヒジのじん帯移植の手術を受けた98年から二軍のマウンドにすら上がっていない。背番号の降格も仕方がないが、苦しいリハビリに耐え、ようやく復帰に自信を持ち始めた矢先のこと。ボクも必死だった。
「おまえの言い分は分かったが、オレもよく分からない。マネジャーに聞いてみるから。電話をさせるから」
長嶋監督はそういってくれたが、結局、球団には相手にされなかった。
この一件以来、一部の球団関係者のボクを見る目が変わった。たかが背番号変更で監督に電話をかけるバカがいるか。そんな目で見られるようになった。今、思えば、背番号の変更なんて監督の仕事じゃない。長嶋監督に直談判するなんて、お門違いも甚だしい。
でも、ボクは自分の納得できないことに、「はい、そうですか」と簡単にクビを縦に振れない性格。年俸更改でもよくモメた。96年には4度も契約交渉を行い、巨人史上初の出来高払い契約を結んだ。球団にとっては、扱いにくい選手だったかもしれない。
結果的にボクは昨年のオフ、巨人をクビになった。ダイエーにテスト入団して福岡に単身赴任。生活は苦しかった。