大至伸行さんは力士からプロ歌手に異色の転身も 歌一本で食べていくのはまだ難しく…
50歳過ぎて喉を鍛え直し、流行歌からシャンソンまでマルチな活動
テレビは和装で出演し、この日は洋装。なんだか雰囲気が違う。イメチェンしたのだろうか?
「相撲の話がメインのテレビや講演、相撲甚句を歌わせていただくときは、今も和装。でも、3年前から、新しい音楽プロデューサーにレッスンしていただき、マネジャーと3人で“チーム大至”を組み私の新しい歌の世界を一緒に作って支えていただくようになってからは、洋装で流行歌やシャンソンなど幅広いジャンルを歌っています」
大至さん、何かあったのだろうか。
「力士を引退し、“夢だった歌手になる”と宣言して相撲協会を退職した直後は、メディアにたくさん取り上げてもらったのに、2年弱でパタッとなくなりました。それから、たくさんの方に応援していただきましたが、50歳を過ぎて声が衰え、“早く歌手として花を咲かせなければ”という焦りがありました。それで、京大の名誉教授が開発された発声法などで鍛え直していただきました。あまりにつらいレッスンで、泣きながら(笑)。その甲斐あって、レッスン開始3カ月後に東京オペラシティで初リサイタルを開いてからは、これまでとは違うお客さまの反応が得られるようになりました。僕自身の歌への取り組み方も大きく変わり、僕がしていただいたように、僕は歌でみなさんを応援していきたいと思っています」
8月29日には、代々木上原のホール「MUSICASA」で、美空ひばりの「一本の鉛筆」や、「長崎の鐘」「花は咲く」などを歌うコンサート「ドスコイ歌舞台~戦後80年に寄せて未来への平和を歌う~」を開催する。
「歌一本では食べられませんから、14年から門前仲町のスナック『ひびき』の店長として、ほぼ毎晩店に出ています。店のオーナーは、私を応援してくれる方の1人です」
家族も応援団だ。30歳のとき、2歳下の服飾デザイナーと結婚。26歳の長男、24歳の次男に恵まれた。
「息子たちはいい青年に育ってくれました。僕は好きなことをしてきましたから、妻のおかげ。2人とも身長185センチ。長男は水泳選手として五輪を目指していましたがかなわず、早稲田大学を出て、今は半導体の会社に勤めています。次男はプロのバレエダンサーになり、この9月からロンドンのバレエ団で踊る予定です」
江東区内のマンションに、夫人と2人暮らしだ。
(取材・文=中野裕子)
▽大至伸行(だいし・のぶゆき)本名:高野伸行。1968年茨城県日立市生まれ。84年2月に押尾川部屋入りし、同年3月に初土俵。93年新十両、94年新入幕。96年に東前頭3枚目に。2002年引退。現役時代から相撲甚句を得意とし、03年に日本相撲協会退職後は歌手に転身した。